間違えないよう意識して、気を張って、それでも間違えて。
間違えたら責め立てられるから、間違いを誤魔化したり、素直に認められなかったり。
僕たちは間違いに対してすごく怯えている。
間違いはダメなものだと本気でそう信じている。
でもよ、本当はそうじゃないって知ってた?
まじまじ、本当は間違えてもいいのよ。
そんなはずない!
だって小学校のときとか、めっちゃ間違いを責め立てられたもん!
過ちは罪であるっていうメッセージを受け取り続けてたもん!
こんな風に僕の心の中の小さなたけうち君は言いますが、その過去に積み上げられてきた間違った観念こそ、僕たちを苦しめるものだったりします。
と、いうわけで今回は僕はあなたに伝えたい。
間違えてもいいんだよと。
間違いに怯えるな
間違えると責め立てられた人は、間違えるということに対して非常に怯えています。
もう間違えるのが怖くて怖くて仕方がない。
間違えるのが嫌だからそもそも行動しない。
間違えてしまっても素直に認めずに隠蔽したりして。
とにかく間違えるということが、自分を傷つけるということに直結してしまっているのです。
でもですよ。
よーく考えてみてほしいんです。
間違えることの何が悪いのよと。
間違えたら何か問題なのかと。
別にいいんですよ。
間違えた結果出た損失は自分で責任をとればそれでいい話。
みんな間違えるんです。
間違えない人なんていません。
僕らは人間ですから、間違える生き物なんです。
だから、過度に間違いを怯える必要はないんです。
むしろ人は、間違えることで成長していく生き物だったりするんですよ。
間違えることはいいことだ
間違えることは良いことなのです。
最近、アプリで英単語の勉強をしてるんですけど、もう高校生くらいの英単語で分からない単語とか出てくるんです。
こんなのやったかなって思いながら間違えまくってるんですけど、これダメなことなのかなって考えたときに、そうでもなくねって思ったんですよね。
確かに間違えているんだけど、別に問題ではないんですよ。
むしろ、間違えてることを意識して学習に取り組むから、効果的に勉強が出来てると思うんです。
間違えるって言うのは、なにかしら結果を出してるってこと。
それが上手くいったかどうかはさておき、行動したということです。
その行動したという過程に大きな意味があるのであって、うまくいったかどうかなんてのはそんなに大切ではありません。
昔って、答えが分かる人って言って挙手して間違えると笑われたじゃないですか。
間違えることが恥ずかしいみたいな。
あれも、答えがあってるかどうかなんてそこまで大きな問題ではないんですよね。
いやもちろん合ってるに越したことはないんだけども、それよりもしっかり問題を解いて、積極的に授業に参加している姿勢が大事なんです。
過程なんですよ。
過程が大事なんです。
間違えたら直せばいい
別に直せばよくない?
修正して次に良くすればいいんじゃない?
なんで毎回毎回成功し続けなきゃいけないのよ。
そんなの無理だってのはわかるじゃん。
超人でもない僕たちは、間違いを犯しながら地道に成長していくしかないんです。
間違いこそが、僕たちを成長させる栄養なのです。
馬鹿にされるのが恐い?
馬鹿にさせとけばいいじゃん。
人の間違いを馬鹿にするやつは行動できない人間だよ。
人の間違いを馬鹿にしている奴は自分の間違いにも敏感だから行動できないんだ。
そんなやつらの声に耳を傾けなくていいんだよ。
彼らは人の足を引っ張ることでしか自分の価値を見い出すことが出来ないかわいそうな人種なんだ。
でも君は違う。
間違えたじゃないか。
間違えたということは、君は人生を進めたということだ。
自分のコンフォートゾーンから出て、自分の人生と勝負しているってことだ。
間違えてるの、最高にカッコいいと思う。
だから間違ってもいいんだ。
間違えることを悪く思う必要はない。
間違えるという行為は行動の証。
悪いことではないってわかるでしょ?
まとめ
ガンガン間違えていこう。
間違いの数だけ成長できる。
そんな最高の経験をダメなものとして扱ってたからいつまでも成長できなかったよ僕は。
同じ轍を踏まないでくれ。
間違いから逃げないでくれ。
間違いとは逃げるものじゃなくて、追い求めるもの。
そこに気づかない限り人生は進まないんです。
敢えて間違ってみるのもいいと思います。
敢えて間違ってみて、そこから学びとるんです。
そうすると間違いに抵抗がなくなっていって過ごしやすくなります。
僕も毎日間違いの連続です。
上手くいくことなんてたまにです。
でもそれはダサいことではないでしょう。
むしろ自分で自分のことを最高にカッコいいと思ってますからね。
あなたも最高にクールでエレガントでビューティフルな間違いプロを目指してみましょう。
見える景色が変わることをお約束します。