僕は基本、どんな人でも好きがベースで関わっています。
別に意識してそうしている訳でもなく、ただ基本的に他人に対して好意的に思っていることが多いのです。
ただ、だからといってすべての人を好きで居続けられる訳ではありません。
流石に最初は好きでも、関わりが続いていく中で好きな気持ちが消失していくことは多々あります。
僕としても悲しいことではあるのですが、どうして好きな気持ちがなくなっていってしまうのだろうと考えたときに、相手の要求がましさがあることに気が付きました。
要求がましさが、人間関係を悪化させていくのです。
というわけで今回の記事は、好かれなくなる要求がましさについてお話していきます。
ぜひ最後までご覧ください。
要求がましさとは
要求がましさとは、他人に対して期待をするということです。
自分の望む未来を与えてほしいというその期待を相手に求める姿勢、それが要求がましさなのです。
褒めてほしい。
好いてほしい。
慰めてほしい。
奢ってほしい。
要求がましい人間は、こういった幼児的欲求を素直に表現できません。
なぜならこういった要求をすることは大人としては不適切であると認識しているからです。
でも、どうしても満たしてほしいからストレートではなく少し遠回しにそれを表現します。
「○○してみた」と言えば、褒めてもらえると期待して、その言葉を投げかける。
エスコートをすれば好いてもらえると期待して、過剰にエスコートする。
「こうしたんだから、私が求めているものを頂戴ね」と、そういったメッセージを裏に含めて表現していくのです。
要求に応えることは不快である
こういった欲求を満たすために要求をしてくる人間は、要求された側はどうしてもストレスとなります。
何故なら、それは私の心理的自由を奪うからです。
それはつまり本音で生きることを私は封じられるということです。
褒めてほしいという要求のパスに、人は褒めざるを得ない。
好いて欲しいという要求のパスに、人は感謝せざるを得ない。
本当だったら「そうとは思わない」と言いたいところだけど、ここでそのパスをスルーしたり否定することは相手を傷つけてしまうとわかっているから、人間関係を良好に保つにはどうしたってそのパスを自分の意に反したとしても返さざるを得ないのです。
だから要求がましい人は段々と人が離れていくのです。
重複しますが、心理的に未成熟な人間は、思い通りの返答がなければ感情が乱れます。
故に断る余地を我々に与えてくれない。
だから居心地が悪い。
要求に応え続けることを強いられるから、好きな気持ちが薄れ、いつしか嫌悪の対象になってしまうのです。
他人から得ようとするな
あなたが抱えている幼児的欲求を否定はしない。
僕たちは満たされずに生きてきた。
どうしたって満たされていない部分は誰かに満たしてほしくなってしまうでしょう。
ただ、他人に要求することはやめましょう。
あなたが、あなた自身で満たすことです。
与えてほしいからと求めることは、敢えてストレートに表現するならば搾取です。
心理的自由の搾取であり、他者の隷属化でもあります。
目の前にいる人はあなたの満たされない気持ちを満たすための奴隷ではありません。
自由意志を持った一人の人間なのです。
相手の心理的自由を認めましょう。
こう言ってくれたらいいなと期待して言葉を発することをやめましょう。
その要求がましさこそがあなたが好かれない理由なのだから、その手段を手放すのです。
他人に頼らずに自分で自分を満たそうと取り組むことが、自立していくということなのです。
まとめ
あなたが好かれないのは、もしかしたら言葉の端々に要求がましさが見え隠れしているからかもしれません。
相手は大抵、その要求がましさを見透かしたうえで、あなたの要求に付き合ってくれているだけなのです。
ただ、それはいつまでも続くものではありません。
相手がその心理的隷属化に疲れ果てたとき、離れていってしまうものなのです。
あなたに必要なことは、自分が他者に求めていたものを、自己完結できるようにすること。
自分で自分の要求を満たしてあげるということが大切なのです。
奪う側から与える側へ。
生き方を変えていけば、いつしか別の世界が見えてくると思いますよ。