【脱不幸論】自分の幸せが見つかるブログ

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

羞恥心の肥大化

こんにちは、たけうちです。

はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

 

www.takeuchipsychology.com

 

あなたは自身を恥ずかしいと感じることはありますか?

こんな自分では恥ずかしくて他人に晒せない。

可能であれば知られたくない。

こういった自分を抱えている人も多いのではないかと思います。

 

僕自身フリーター時代にはフリーターの自分を恥じていて、出来ることなら他人に知られたくないと感じている部分はありましたが、こういった羞恥心というものを抱えなければ僕たちはもっと幸せに生きられるともうのです。

 

なのに、どうしてか自分を恥じてしまう。

理屈で考えれば恥じることではないのに、どうしても恥ずかしいという感情が自分を苦しめてしまう。

 

もしかしたらそれは、恥の肥大化が起こっているからかもしれません。

今回の記事では、どうして恥を感じるようになってしまうのかというテーマでお話しさせていただきます。

ぜひ最後までご覧ください。

 

 

 

恥の肥大化

僕たちが自分自身を恥じてしまうのは、自分が普通よりも下回っていると感じるからだと以前の記事で書かせていただきました。

 

www.takeuchipsychology.com

 

恥かしさというのは、自身が無意識に感じている「普通」を基準にして生まれるものであり、その普通という価値基準が高ければ高いほど僕たちは自分に対して羞恥心を感じてしまいます。

 

僕が抱えていた恥を見返してみても、高卒は恥ずかしい、フリーターは恥ずかしい、ファッションセンスがない人は恥ずかしいなどなど、挙げればキリがないくらいに羞恥心を生む普通が自分を苦しめていました。

 

さて、ここで少し考えたいのは、僕たちはどうしてこういった「普通」を抱えるようになってしまったのかということです。

 

言ってしまえば「普通はこうする」という価値観を抱えていなければ、そもそも自分を恥じるということは起こらないのですから、この普通を生んでいるメカニズムを理解し、それを手放してしまえば問題ないのです。

 

では、実際に何が原因で普通が生まれているのかというと、自身の世界の肥大化が普通という感覚を生んでいるのでした。

 

自身の世界の肥大化

僕たちが普通に苦しんでいるのは、自身の世界が肥大化しているからという理由が挙げられます。

 

僕たちがこの世界に生まれ落ちたとき、世界の最大値とは家族でした。

家族が自分の知る世界の全てであり、この小さい水槽の中でのんびりと成長をすることになります。

 

そんな環境から育っていくうちに、段々と世界というのは拡張されていきます。

小学校という世界に広がり、中学、高校とさらに広がり、そのころにはメディアを通して地球全体が世界となっていくのです。

 

一番最初は家族という小さな単位の世界が、いつしか地球という世界へと肥大化してしまったのです。

 

するとどうなるでしょうか。

 

家族という小さな世界に比べて、地球という世界には、すごい人たちがたくさん溢れているのです。

そういったすごい特別な人たちはメディアに切り取られ、僕たちに届けられていく。

SNSなどを通して人々は普通という基準に満たしていない人を蔑み、普通以下は許されない風潮を作り上げていく。

 

インターネットやメディアを通して自身の世界が肥大化されたことによって、あなた自身の普通も肥大化してしまった。

それが、あなたが普通に苦しんでいる、普通ではない自分を恥じてしまっている原因なのです。

 

普通以下で何が問題なのか

世界の肥大化によってあなたの羞恥心も肥大化してしまいました。

 

例えば、私の顔は可愛くないと感じている美人は多くいます。

何故か綺麗な顔立ちをしているのに自信が持てていないのは、世の中にはもっと美しい人がたくさんいるという価値観を、メディアを通して培ってしまったからではないでしょうか。

 

世界の拡張は、自分自身がどれだけ井の中の蛙なのかを思い知らせる原因となります。

そして良くも悪くも、自分はちっぽけな存在だと感じ、しかもそれがまるで悪いことかのように人々は謳うのです。

 

それでどうして自分を恥じずに生きることが出来るというのでしょう。

世界の肥大化に伴う普通の肥大化は、羞恥心を大きく刺激する結果となっているのです。

 

そこで大切なのは、普通以下である自分を許すこと。

 

世界が肥大化した今、世の中の平均以上をとることは難しいものです。

普通でいるということは、まだメディアもない小さな村であればまだ簡単でしたが、世界規模に広がった今では、大抵の人は普通にもなれません。

 

そんな時に、普通以下の自分を否定し拒絶するのではなく、そんな自分でもいいやと許してあげることが大切なのです。

 

普通以下の自分で生きる決意をするのです。

それは、羞恥心の基準を世界の普通から自分自身に切り替えるということです。

 

周りがどうであろうと関係なく、自分は自分であるという、個人に焦点を当てた生き方を選択するということなのです。

 

普通である必要もないし、普通でない自分を恥じる必要もありません。

その時の現実一つ一つが真実であり、受け入れるべき事実なのです。

 

 

 

まとめ

羞恥心を感じるようになったのは、世界が肥大化してきているからです。

他者比較をする人は世界の肥大化と共に普通が肥大化し、自身に求める普通が高くなっていってしまうのです。

 

そこで大切なのは、普通以下の自分を許すことです。

普通以下の自分はダメだと思うから、そんな自分を恥ずかしく思う。

だったら、そんな普通以下の自分を許し、受け入れてしまえばいいのです。

 

それは言わば普通以上の自分に対する憧れを手放すということであり、地に足を着けた生き方を選択するということでもあります。

 

他人に囚われず、自分自身に注目して生きるということなのです。

 

あなたは普通以下でも良いのです。

 

だって、普通以下の人なんてたくさんいるから。

むしろ普通以下の人ばかりいるものなのです。

 

メディアに載せられて届くのは普通以上の人たちばかり。

だからつい普通が高く感じてしまう。

でも、それは見えている部分にしか過ぎません。

 

あなたと同じように普通以下の人がごまんといるのです。

 

だから、普通以上を渇望することなく、普通以下の自分で生きていくのです。

みんなと同じ、大したことない自分として生きていくことが、幸せに生きるための一歩なのです。

 

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