【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

ワクワクに従おう

こんにちは、たけうちです。

はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

 

 

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明けましておめでとうございます。

2023年もあっという間に終わってしまいました。

僕は比較的充実した2023年を過ごせたので、今年は行動力をテーマに、もっと充実し、実りのある年にしたいと思っています。

今年もどうかよろしくお願いします。

 

そしてこの記事を執筆しているのが1月4日、年明け早々に能登での地震もあり、お正月気分とは言えない年始となってしまいました。

被災された方々が一人でも多く無事でいること、一刻も早く復興することを心より願っています。

 

 

 

さて、新年を迎え、新たに願望を抱く人は多いのではないでしょうか。

ああなりたい、こうなりたいという願望は幸せになるうえでとても大切なものです。

ですが、本当の幸せを目指すのであれば、欠乏感を満たそうとする願望を抱かないように気を付けなければいけません。

 

というのも、欠乏感を満たすことで得られるのは、あくまで安心感だからです。

安心感から得られる幸せと本当の幸せはそもそもの種類が違うのです。

ここを見極めることが、自分が幸せかどうかに直結してくるでしょう。

 

今回の記事では、幸せの願望の種類についてお話していこうと思います。

 

 

 

 

安心感を感じる願望と高揚感を感じる願望

幸せの願望には2種類の願望があります。

一つは安心感を感じる願望で、もう一つは高揚感を感じる願望。

 

僕たちは安心感を感じることでも幸せを感じるのですが、本来願望として掲げたい願望というのは、高揚感を感じる願望なのです。

 

安心感を感じて幸せになるというのは、言い換えると不足、不満、不安を解消するということです。

つまり、この願望を抱えているということは欠乏感を感じているということであり「私は不幸である」という条件下でのみ生まれてくる願望なのです。

 

なので、安心感を満たそうとする行為は自分の不幸を直視するという行為であり、一見幸せになれそうですが、願う行為自体が幸せになるということから真逆の方向を向いてしまっているのです。

 

だから願えば願うだけ不幸になりますし、仮にその願いが叶ったとしてもその欠乏感をさらに強めてしまう。

安心感を求める願望というのは、不幸になる願望なのです。

 

お金が欲しいという願いがあったとしましょう。

今の自分が貧乏だから、不足を埋めて安心するためにお金を求めます。

この願望を抱いている間はお金がないことを常に感じ続けるので、非常に辛い時期を過ごすことになるのです。

 

その辛い時期を乗り越えてお金を手に入れたとしても、行動は真の動機を強化しますので、真の動機、つまりはお金がないという不足感、恐怖感を強めてしまい、お金を手に入れても満たされることなく、更にお金を求めるようになってしまいます。

 

僕たちはお金だけではなく、パートナー、仕事、友人関係、物など様々な要素で欠乏感を埋めようとしています。

自分の願望というのが1度欠乏感を満たすための願望でないかを、改めて考えることが大切なのです。

 

あるべき願望の形

安心感を感じるための願望は、自分の欠乏感を強化してしまうので結果不幸になってしまうという話でした。

 

ではどうするべきなのかというと、安心感ではなく、高揚感を感じるような願望を持つべきなのです。

 

高揚感、つまりはワクワクです。

 

その願望のことを考えるとワクワクして胸が弾み、気分が高揚してくるような願望こそが真の願望と言えます。

 

小さい頃、ゲーム屋さんでゲームを買ってもらって家に帰るまでのあのワクワク感。

明日の家族旅行が楽しみで寝られないというときのあのワクワク感。

毎週楽しみにしているアニメやドラマの最新話の放送日を迎えたときのあのワクワク感。

 

別に何か欠乏感を満たすとかではないけど、純粋に心を満たすための願望。

これこそが、僕たちが幸せになれる願望なのです。

 

求めるべきものを見定める

マイナスをゼロにするのが、安心感で得られる幸福。

ゼロをプラスにするのが、高揚感で得られる幸福。

 

この判断軸を基準に、自分は一体この願望を満たすことで何が得たいのだろうかと自問自答し、自分の真意を見定めるのです。

 

そして安心感を求めていた場合、自分の欠乏に目を向けるようなことはやめて、自分が純粋に満たされる願いは何なのかを探しだしましょう。

自分と向き合うことで、必ず答えは見つけ出せます。

 

もしも欠乏感が気になってしまって仕方ない、そこから目が離せないくらい渇望してしまっているのだとしたら、自分のその欠乏感が正しいのかどうかしっかり考えてみてください。

 

本当に不足しているのか、本当は足りてる部分があるんじゃないか。

多くを求めすぎてはいないか。

 

本当に不満を感じるべき事柄なのか。本当は相手が正しいのではないか。

自分の認識が間違っているのではないか。

 

本当に不安を感じるようなことなのか。本当は安心できるような環境ではないか。

安心できないと決めつけてはいないか。

 

欠乏感というのは、自分の認識によって生まれるものなので、自分の認識の間違いに気づければ認識の変更が可能なのです。

 

しっかりと自分と向き合うことで、自然と高揚感に目を向けられるようになるでしょう。

 

 

 

まとめ

高揚感に従うというのは、言い方を変えると自己実現するということです。

つまり、僕たちの幸せというのは自己実現にあるということです。

 

自分の願望という要素でさえ、自分と向き合うチャンスを含んでいます。

特に年始は自分の願望について触れる機会が多いですから、ぜひ自分と向き合ってみるのもいいのではないかなと思います。