こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。
欠乏感を感じないようにしようと、僕は声を大にして言っています。
欠乏感が僕たちの人生を本質的な幸せから大きく逸らしている原因であり、この欠乏感を感じないようにしていくことが大切になってくるからです。
ですが、欠乏感は生まれてきます。
自分の心の奥底にある傷口から血が出てくるかのように、その傷口が塞がらない限り欠乏感は生まれてくるのです。
ではこのとめどなく溢れてくる欠乏感は、どのようにして止めていけば良いのでしょうか。
そこで今回の記事では、欠乏感と欲求についてお話していこうと思います。
ぜひ最後までご覧ください。
欲求から欠乏を辿る
自身の欠乏感というのは行動に表出します。
人は欠乏感を満たすために生きる生き物なので、満たされていないものを満たそうと行動していくのです。
そして行動というのは、欲求が作り出していますから、欲求を見ることで自身の欠乏感を知ることが出来るのです。
例えば、どうして人はオシャレをするのでしょう。
オシャレをするという行動の裏には、様々な欲求が隠れています。
純粋に自分が好きな服を着ていることが幸せだという人もいますし、異性からの評価を上げるためという人もいるでしょう。
純粋に好きな服を着ているだけなら問題はないのですが、異性からの評価を上げるためにオシャレをしているのだとしたら、そこには欠乏感が隠れています。
異性からの評価を得たいということは、その裏には愛されたいという欠乏感が隠れているからです。
このように自身の行動から欲求を見つけ出し、欲求から欠乏感を見つけ出していくと、自分がどんな欠乏を恐れているのかが見えてくるのです。
そして、その欠乏感を生み出した過去の出来事を思い返し、その時に負った心の傷を癒してあげる。
これが本質的な欠乏感の解決になっていきます。
しかし、この根本的解決には時間がかかります。
体の傷にすぐにはかさぶたができないように、心の傷にかさぶたを作るためには相当な時間が必要となるのです。
ですが今自分を苦しめているこの欠乏感から逃れたいという人は、欲求を抱えないようにすることで対処的解決が可能なのです。
欲しがることをやめる
欠乏が欲求を生んでいるのですが、逆に言ってしまえば欲求が欠乏を生んでいるとも言えます。
お金が欲しいと思うから、お金への欠乏感、渇望は生まれてきます。
愛されたいと願うから、愛されることへの欠乏感、渇望は生まれてきます。
僕たちが無意識に抱えているこの飢餓感ともいうべきものは、欲しがるからこそ生まれているです。
だからその欲求を手放そうと言っているのです。
執着が生まれない自己実現欲求のみを大切にして、手放すことが惜しい欠乏欲求を手放すのです。
僕自身愛情飢餓感が強く、付き合っていた彼女に対して愛してほしいという欠乏欲求をぶつけていました。
彼女なりに愛してくれてはいましたが、欠乏感を満たしたいという気持ちが強かったせいもあり、それで満足することが出来ませんでした。
その結果、愛に対する執着によって強く苦しんだのは言うまでもありません。
ここで僕がすべきだったことは、根本的な愛情飢餓感を解消することです。
無償の愛を求める自分の幼児的欲求を解消し、精神的自立を果たすことが本質的な問題解決と言えます。
しかし、先ほども書いた通り欠乏感というのはそんな簡単に解消できるものではありません。
人が何年にも渡って心の奥底で溜め込み続けた欠乏感というのは、言わばネガティブな価値観のことですから、価値観を書き換えようとするのであれば長い時間を要するのです。
なので、まずは欠乏感を生まないよう、欲求から遮断するのです。
欲求が生まれなければ、ひとまずは欠乏感を感じることはありません。
これが充足を見るということです。
欠乏に目を向けず、充足に目を向けることで欠乏欲求が生まれるのを防ぐのです。
愛されたいと思うから愛されていないし、お金が欲しいと思うからお金がない。
しかし、愛されたいと思わなければ愛されているし、お金が欲しいと思わなければお金はあるのです。
この「欲しがらない」というスタンスをとることで、自身の心を安定化させることが出来るではないでしょうか。
まとめ
欠乏感を感じないためには、まずは自身の欠乏感を知り、その欠乏感の原因となった心の傷を癒していく必要があります。
しかし、その傷を癒すには時間がかかってしまうというのも事実です。
なので、対処療法的にはなりますが、自身が「欲しがることをやめる」というスタンスで生きることで、心の安定化を図ることが出来るでしょう。
欠乏が欲求を生むと同時に、欲求が欠乏を生んでいるというニワトリのタマゴ理論のような話にはなりますが、欠乏感に苦しむ人が少しでも救われればと思います。