【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

依存や執着など、他人を重要視してしまう原因

こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

 

www.takeuchipsychology.com

 

世の中には他人を重要視してしまう人がいます。

相手に依存してしまったり、執着してしまったり、嫌われるのを恐れたり、本音が言えなかったり、迎合してしまったり。

 

このようにして他人を重要視してしまう人は、本当の自分を押し殺し、あるべき自分を作り上げてしまいます。

こうした生き方は自分を捻じ曲げることになるので、自己実現的とは言えず、幸せな生き方とは言えません。

 

だからこそ僕たちは他人を重要視しない生き方をするべきなのですが、そもそもどうして僕たちは他人を重要視してしまうのでしょうか。

 

それには、自分の欠乏感というものが関わっていました。

 

今回の記事では、他人を重要視してしまう理由についてお話ししていきます。

是非最後までご覧ください。

 

 

 

 

他人が重要な理由

僕たちが他人を重要視してしまうのは、その人があなたの欠乏感を満たしてくれているからです。

 

自分で自分を認められなかったり、自分で自分を愛さなかったりと、人は自分で自分を満たせないときに、満たすことを外に求めます。

自分では満たせないから認めてくれ、愛してくれと周囲に与えてもらうことを要求するのです。

 

そうやって他者に自分の欠乏感を満たしてもらっていると、その他者の存在が重要になっていきます。

彼らがいなくなると、自分はまた欠乏感を感じなければならないので、無意識的に彼らを失いたくないという気持ちに駆られるのです。

 

例えば、僕は彼女にフラれた時に執着を手放すことができませんでした。

フラれてお互いの関係は終わったことは頭では理解しても、心が抵抗していたのです。

 

どうしてそんな執着をしてしまっていたのかと言えば、それは彼女の存在によって自分の価値を確信していたからです。

彼女なくして僕は自分に価値があると思えなかった。

自分で自分を認める力がなかった。

だから彼女への執着を手放すことができなかったのです。

 

過去の僕のように、他人を重要視すればするほど相手に迎合しやすく、ありのままの自分で生きることはできません。

 

自分の欠乏感を埋めるためには、彼女から好かれていることが条件になるので、好かれる自分でいようと自分を偽ってしまいむす。

 

本当の自分で生きられないということは、そこにストレスや葛藤が生まれ、幸せな日々を送ることが難しくなっていってしまうのです。

 

僕たちは何を欠乏することを恐れているのか

マズローの欲求階層説というものがあります。

 



 

人は欲求を階層ごとに満たしていき、最終的に自己実現的な生き方をするというものです。

 

そしてこの表のうち、下段から4段は欠乏欲求と呼ばれ欠乏感を生み出します。

生理的欲求では自分の生命維持を求め、安全の欲求では不安のない安心感のある生活を求め、所属と愛の欲求では周囲との繋がりを求め、承認欲求では評価されることを求めるのです。

 

これらを自分で満たせる人は他人を重要視することもなく、自立して生きていくことができますが、どこかで自分を満たせないと他者に要求するようになってしまいます。

生理的欲求や安全の欲求は自分で満たせる人がほとんどですが、所属と愛の欲求や承認欲求は自分で満たせない人が多く、ここを自分で乗り越えられない人は欠乏感を恐れ、相手に迎合するようになっていくのです。

 

例えば、親のことが嫌いな子どもが、嫌いなのにも関わらず親に迎合し愛されようとするのは、自分の欠乏を恐れているからです。

親に見放されてしまえば、親からの承認や愛は勿論のこと、生活の安全性の確保や生理的欲求を満たすことさえ難しくなる可能性があり、それは命の危機に直結します。

 

だからこそその欠乏を恐れ、相手に迎合せざるを得ないのです。

自分の本心を押し殺してでも親に迎合し生きながらえようとするのは、生命として当たり前のことなのです。

 

もちろん子どもだけではありません。

大人も同じで、今満たされている欠乏感が持たされなくなる可能性があるとき、人はその欠乏感を満たしているものを重要視し、底知れぬ不安に抗うために相手に迎合するのです。

 

結局僕たちは、生命維持や社会的繋がり、自分の価値といったものに欠乏感を感じることを恐れ、それに振り回される人生を送っているのです。

 

他人を重要視することをやめるために

あなたが恐れている欠乏感が何かを考えるのであれば、あなたがその人を重要視している理由を考えることです。

なぜならその重要視の裏には、必ず欠乏感が隠れているからです。

自分がその人でどんな欠乏感を満たしているのかを理解しましょう。

 

僕は彼女の存在で、自分の承認欲求を満たしていました。

自分で自分を認められないから、彼女の存在を認められている証拠として使っていたのです。

だから彼女を失うのが怖く、彼女への執着心が強かったのです。

 

そして僕のように他者を重要視していることに気づき、その裏にある自分の恐れている欠乏感を見つけたら、他人に頼らず自分で満たす努力をすることです。

 

どうして他人を重要視してしまうのかと言えば、自分で自分を満たせないのが原因です。

人に満たしてもらおうとするから他人に振り回され、いつも傷つくのです。

愛されたいのであれば、自分で自分を愛するのです。

認められたいのであれば、自分で自分認めるのです。

 

他人がどう思うかは関係ありません。

あなたがありのままの自分を愛し、認められれば、他人に求める必要はなくなるのです。

なぜなら自分が愛し認めていれば、そもそも欠乏を感じないからです。

 

自分の内側で完結させて、外側の世界に求めない自立した精神こそが、他人を重要視しない生き方を作るのだと思います。

 

 

 

まとめ

僕たちが他人を重要視し、依存し、執着してしまうのは、相手が自分の欠乏感を満たしてくれているからです。

その欠乏感は人によって様々かと思いますが、それが愛であったり承認であることが多いでしょう。

 

そういった愛や承認の欠乏は、他者に埋めてもらおうとするのではなく、自分自身で満たそうとする姿勢が大切です。

なぜなら、人に満たしてもらおうとするから他人に振り回され、悲しい思いをするからです。

他人はコントロールできません。

あなたの欠乏感を満たしてくれるかどうかは相手次第であり、運が絡んできます。

 

コントロールできないものに期待するのではなく、自分がコントロールできる自分の心で愛や承認を得るようにすることが、幸せに生きるために方法なのです。

 

自分で自分を満たす。

この言葉を大切に、毎日を過ごしてみてください。