【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

現実を受け入れる方法

こんにちは、たけうちです。

はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

 

www.takeuchipsychology.com

 

人は現実を受け入れないことで不幸になります。

 

変えられないことを肯定的に諦めることが出来ず、どうしてこうなんだと悲観し、問題を直視することを避け、自分と向き合うことから逃げてしまうのです。

 

僕たちがこれから人生をより良くしていくためには、現実を受け入れていくことが重要なのですが、どうして受け入れることができないのでしょう。

また、どうしたら受け入れられるようになるのでしょう。

出来ることなら現実の受け入れ方をしっかり学び、人生を前進させていきたいものです。

 

そこで今回の記事では、現実を受け入れる方法についてお話していきます。

ぜひ最後までご覧ください。

 

 

 

なぜ現実を受け入れられないのか

どうして僕たちが現実を受け入れられないのかと言えば、その現実が自分の欠乏感を刺激するからです。


僕たちが受け入れられない現実というのは、自分が不足を感じるものであることがほとんどです。

人はダメな自分を受け入れることを恐れます。
なぜならそれを受け入れることは自分がダメであることと正面から対峙することであり、心に大きな傷をつけるからです。

僕たちはできることなら傷つきたくないですから、それを受け入れないことで抵抗しているのです。

 

例えば彼女にフラれてしまったとしましょう。

フラれたという現実が自分の欠乏感を刺激してしまう場合、素直に現実を受け入れることができません。

フラれたということは、彼女が自分に価値を感じなくなったということであり、これから先に得られたであろう楽しい日々が失われたということになります。

 

仮に彼女の存在によって自分の無価値観を満たしていたり、人生の楽しみを彼女だけで満たしていたとすると、この満たされていた充足感が失われ、欠乏感と対峙することになります。

 

自分には価値がないという現実、彼女とでなければ楽しめないという現実と向き合うにはあまりにも辛いので、結果現実を受け入れることが出来ないのです。

 

現実を受け入れる方法

ではどうしたら現実を受け入れることができるのでしょうか。


現実を受け入れる方法としておススメしたい方法が、現実に対する解釈を変えるという方法です。

 

僕たちは、現実に対して解釈をします。

太っていること=悪いという解釈もあれば、太っていること=良いと解釈する人もいるように、現実は同じでも観測者によって解釈は異なり、その現実に対する印象というのは観測者によって変わってくるのです。

 

僕たちが現実を受け入れられないのは、その現実が欠乏を生み出すからです。

つまり、欠乏しているという解釈を行っているせいで現実を受け入れられないのですから、欠乏を感じる解釈ではなく、充足を感じる解釈をしていけばいいのです。

 

先ほどの例で言えば、彼女にフラれたという現実を受け入れらないのは、彼女にフラれたことによって失ったものがあると解釈しているからです。

 

彼女自体を失った。

彼女からの承認を失った。

彼女からの愛を失った。

彼女との未来を失った。

 

こういった現実というのは変えられません。
起きてしまった現実は現実として、受け入れるしかないのです。

 

確かに彼女は失いました。

彼女に満たしてもらっていたものも失いました。

 

ですが、物事に対する解釈というのは変えることができます。

彼女を失ったという現実を、悪いものではなく良いものとして解釈出来れば、僕たちはその現実を受け入れやすくなるのです。

 

そこで考えてみてほしいのですが、本当に失ったものだけなのでしょうか。

彼女にフラれたという現実から、得るものもあったのではないでしょうか。

 

彼女を失ったことで、自分を省みて精神的に成長することだってあります。

彼女に割いていた時間やお金などのリソースを、他に割けるようになったりもします。

 

失ったものばかりをみているから悪い出来事のように感じていますが、解釈を変えれば良い出来事にもなり得るのです。

 

現実に対する解釈をネガティブなものからポジティブなものに変えていく。
この姿勢が、現実を受け入れていく上で大切なものなのではないでしょうか。

 

あなたはそれから何を学ぶか

苦難に遭遇したとき、辛い現実と直面したとき、僕たちはその現実が自分に何を伝えようとしているのかを考える必要があります。

自分はこの現実から何を学ぶことが出来るのかという姿勢が、その現実に肯定的な価値を付与するのです。

 

僕はたくさんのことを受け入れられずに生きてきました。
社会的地位、学歴、収入、容姿、自分という存在の価値、数え上げたらキリがないくらいに自分を受け入れられませんでした。

 

例えば社会的地位が低いという現実から、他人からの評価を得たいという自分の欠乏に気づくことが出来ましたし、社会的地位が低い人生を歩んだからこそ、今こうして心理学や哲学で人を幸せにする仕事をしようと行動できています。

今の僕の人生に辿り着くには、社会的地位が低い人生が必須だったのです。

 

だから今は社会的地位が低かった事実もしっかりと受け止めて、自分の一部として愛してあげることができています。

 

この現実は自分にとってなくてはならないものなのだという思考が、現実を受け入れる上で大切になるのです。

 

必ず目の前の現実から人は学ぶことが出来ます。

何かを得ることが出来ます。

学ぶのも得るのも、自身がそういった視点で現実を見れるかどうかにかかっているのです。

 

 

 

まとめ

現実を受け入れられないのは、その現実が自分の欠乏感を刺激するからです。

欠乏感を感じたくないという意識が、現実を遠ざけるのです。

 

僕たちがすべきことはその現実の解釈を変え、欠乏を感じる解釈を手放し充足を感じる解釈に切り替えていくのです。

 

現実は変えられませんが、その現実から何を学ぶか、何を得るかは変えることが出来るのです。

 

自分の人生をより良くしていくためにも、しっかりと現実と向き合っていきましょう。