こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。
心の問題と向き合い始めたときに一度は聞くであろう、執着という言葉。
執着を手放すことで心が軽くなり、幸せに生きることが出来るようになるのですが、執着を手放そうと言われても手放し方が分からないという人は多いのではないのでしょうか。
意識的に執着をしているならまだしも、勝手に湧いてくる執着心を手放せと言われても、コントロールできないので手放せないのは当然のことなのです。
僕自身、特に恋愛関係で執着することが多く、その執着心を手放すことに苦労してきました。
分かっていても手放せないことがまたストレスになる毎日で、手放すことの難しさを痛感してきたのですが、先日ふと執着についての理解が深まったので、今回の記事では執着とその手放し方をみなさんとシェアできればなと思っています。
ぜひ最後までご覧ください。
執着とは何か
執着を手放す上で、まずは執着というものに対する理解を深める必要があります。
なぜなら手放そうにも、理解していないものをコントロールをすることが難しいからです。
執着とは、自身の欠乏感を満たすものに対して生まれるものです。
それを失うことで欠乏感が刺激されるとき、人に執着心が生まれ、手放すことを拒否します。
つまり、執着とは欠乏に対する恐れであるといえます。
僕たちは欠乏を非常に恐れています。
なので欠乏を満たすために努力をしますし、満たされている欠乏感を失わまいと努力をするのです。
この、欠乏に対する恐れ、抵抗が執着であると理解しておくと、執着を手放す過程が比較的簡単になります。
執着を手放す
では、執着を手放すとはどういうことでしょうか。
執着とは欠乏に対する恐れですから、それを手放すということは、欠乏を満たそうとするということを諦めるということです。
欠乏している自分を受けいれ、欠乏している自分で生きる覚悟をし、欠乏を満たそうと努力をすることをやめるのです。
僕自身を例に出すと、元カノのフラれたときに大きく執着が暴れていました。
心をが振り回され、元カノとよりを戻したいという感情に支配されていたのです。
なぜそういった執着に支配されていたのかというと、彼女の存在が自分の欠乏感を満たしていたからです。
自分で自分の価値を認められない僕にとって、自分をパートナーとして認めてくれる彼女の存在は、自己無価値観を満たすためには必要不可欠な存在だったのです。
だから手放すのが惜しい。
手放してしまったら、自分の欠乏感が大きく刺激されてしまう。
この、欠乏に対する葛藤の中で僕たちは執着が生まれていくのです。
執着を手放すために、まずは自分がどんな欠乏を恐れているかを理解しましょう。
この欠乏に対する恐れが執着の根っこになるので、自分に問い続けその欠乏を見つけ出します。
僕の場合で言えば、どうして自分は彼女に執着しているのか。
彼女の存在でどんな欠乏感を満たしていたのかと問いかけるのです。
答えは必ず自分の中にあります。
焦らずに見つけ出しましょう。
そして欠乏が見つかったら自問自答をするのです。
その欠乏感を、そこまでして満たす必要はあるのだろうか。
この一言を自分に投げかけるのです。
ぼくで言えば、自分に価値がないと思っていた欠乏感を彼女の存在を使って満たしていたわけですが、果たしてその無価値観を満たす必要があるのかを考えるのです。
別に欠乏していてもいいやと思えるのであれば、そのまま執着を手放すことができるでしょう。
ですがもし、その欠乏をどうしても満たしたい、その欠乏に対する恐れを克服できないと感じるのであれば、その欠乏感を満たす必要が出てきます。
そこで大切になるのが、他人がどう思うかではなく、自分がどう思うかを大切にするということ。
欠乏感というのは、他者評価の世界の中で生まれます。
欠乏していること自体が苦しみなのではなく、欠乏していることによって愛されない、認められないという認識が苦しみを生むのです。
欠乏していても必ず周囲に受け入れられるのであれば、その欠乏は欠乏感を生まないのです。
他者評価の世界で生きるから、他人に依存しているから満たされないのです。
自分自身の評価軸に視点を移しましょう。
そして、欠乏感を満たすというのは、欠乏を許し、欠乏した自分で生きるということですから、ダメな自分を受け入れる受容的な姿勢で生きるのです。
僕の例で言えば、自分が無価値であるという事実を受け入れ、無価値なりに生きると決めるのです。
無価値な状態の自分から、一歩ずつ歩いていくと覚悟を決めるのです。
欠乏上等、欠乏している自分にも価値があると、まずは自分が認めるんです。
その姿勢が欠乏感を満たし、執着を浄化させていくのです。
まとめ
執着とは、欠乏に対する恐れです。
欠乏をすることが恐くて、欠乏をしないように手放すことを拒否するのです。
だったら、欠乏感を感じないようにしてしまえばいいのです。
他者評価の世界から自己評価の世界に移り、欠乏を許してしまえばいいのです。
愛されなくても、認められなくても、自分自身が自分を愛し、認めてあげればいいのです。
執着を生んでいる欠乏感は一体なんなのか。
その視点を持ちながら生きることで、かなり生きやすくなるでしょう。
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