【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

欠乏を受け入れる

こんにちは、たけうちです。

はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

 

www.takeuchipsychology.com

 

僕たちが生きていて苦しく、辛い思いをしているのは、欠乏感が悪さをしていることがほとんどです。

不足や不満、不安を感じることで人の心は泥水のように濁りはじめ、不幸という状態を引き起こします。

 

僕たちが幸せに生きるには欠乏感を感じないように生きなければならないのですが、どうしてもこの欠乏感を乗り越えるのが難しいと感じている人は多いのではないでしょうか。

それは、どう足掻いたところで、僕たちは欠乏した存在であるからです。

欠乏を抱えた状態で欠乏感を感じないようにしろと言われても、やはりそこで納得できるはずもなく、欠乏は欠乏だと思ってしまうでしょう。

 

では、どのようにしてこの自分の欠乏と向き合っていけば、欠乏感を浄化することができるのでしょうか。

今回の記事では、欠乏と欠乏感についてお話していきます。

ぜひ最後までご覧ください。

 

 

 

欠乏こそがデフォルトの人生

僕たちが欠乏感を感じ、その欠乏感を満たすためにとるアクションは、大体がその欠乏自体をなくすというものになっています。

 

お金がないと感じていたら、お金を稼ごうとしますし、愛されていないと感じていたら、愛されようとしますし、自分には価値がないと感じていたら、価値を生み出そうとします。

 

僕たちは常に欠乏を満たすために行動しているものです。

ですが、そうしていったところで全ての欠乏を満たせるというわけではありませんし、そうやって欠乏自体を何とかしようと行動していては、いつまで経っても欠乏感を感じ続けるようになってしまいます。

 

そして満たしきれない欠乏感に、また苦しんでいってしまうのです。

 

ここで、僕たちは1つの勘違いを正さなければなりません。

それは、僕たちは欠乏している生き物であるということです。

 

どれだけ完璧だと思える人にも何かしらの欠乏はあるというくらい、僕たちは不完全な生き物であり、欠乏を抱えている状態が正しいのです。

 

その事実を勘違いして、完璧でなければならないと自分を追い込んでしまったり、こう在りたいという無茶な理想像を追い求めるから、欠乏を抱えていることが許せなくなって、欠乏感を感じるようになってしまうのです。

 

欠乏と欠乏感

欠乏と欠乏感は名前こそ似ていますが、まったく違うものです。

欠乏とは、何かが欠けている状態です。

僕たちの本来の状態であり、この欠乏状態に善悪という評価価値は存在しません。

 

それに対して欠乏感というのは、その欠乏を受け入れないでいると生まれる感覚です。

欠乏しているという事実を自分の一部として受け入れ、欲することなく肯定的に諦めていれば、欠乏をしていても欠乏感を感じることはないのです。

 

つまり欠乏感とは、欠乏している事実が生むのではなく、欠乏している自分が許せなかったり、その欠乏を満たしたいと渇望している自分が生んでいるのです。

 

欠乏を受け入れる

欠乏を満たそうとすればするほど、その欠乏に対する不安や恐怖は強まっていき、より自分を苦しめ、渇望を生んでしまいます。

なので僕たちがすべき努力というのは、決して欠乏を満たすことではないのです。

ぼくたちがすべき本当の努力とは、その欠乏を認めることなのです。

 

欠乏している人生こそが当たり前であり、欠乏のない人生などはありえないという事実を受け入れるのです。

 

隣の芝生は青く見えるように、自分が欠乏しているものを持っている人はうらやましく見えるでしょう。

ですが、それを欲したところであなたにはそれがないのです。

だから欲することをやめ、それへの執着を手放し、ないならないでいいやと肯定的に諦めることが大切なのです。

 

僕自身、欠乏していることはたくさんあります。

学歴、職歴、愛された過去、人間性などなど、あげればキリがないくらい欠乏を抱えています。

この欠乏は紛れもない事実なのです。

この事実自体を否定するつもりはありません。

それは、この事実自体を否定してしまったら現実逃避に繋がってしまうからです。

 

そうではなく、この事実をそうだとして受け入れるのです。

そういう自分であるということを認め、情けない、ダメな自分で生きる覚悟を持つのです。

 

それが受け入れるということです。

自分はダメな人間だからもうどうでもいいやと人生を投げ出すのではなく、そのダメな自分がどうやって生きるのかと、自分の人生と向き合うことが、肯定的に諦めるということなのです。

 

欠乏に抗うことをやめましょう。

抵抗すればするだけ苦しみは増すばかりです。

 

抗うのではなく、その欠乏を抱きしめてあげるのです。

そんな自分でも良いんだと、欠乏していることが当たり前の世界で生きている自分を認めてあげるのです。

 

そういった姿勢が、欠乏を受け入れ、結果的に欠乏感を浄化していくことに繋がるのです。

 

 

 

まとめ

欠乏と欠乏感は言葉こそ似ていますが、まったく別のものです。

欠乏という事実を抱えていたとして、その事実をどう解釈するかは、あなた自身の問題なのです。

 

どうせ生きるのであれば、その欠乏に抵抗するのではなく、その欠乏を受け入れ、幸せに生きた方がいいのではないかと思います。

1度きりの人生、自分がどういう姿勢で生きていきたいのか、改めて考えてみるのもいいのかもしれませんね。

 

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