こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。
先日、「マイ・ファミリー 自閉症の僕のひとり立ち」というドキュメンタリー映画を観てきました。
自閉症のケース・モンマの自立を描く作品だったのですが、自立とは何なのかという問いかけを主題としていたようにも思えます。
今回の記事では、そこで感じた「自立とは何か」をみなさんと共有できればなと思っています。
ぜひ最後までご覧ください。
自立とは
今回のドキュメンタリー映画の主人公であるケース・モンマは、年老いた両親から離れ、自立した生活を送ることを決意します。
様々な自立の形がある中で、経済的に自立していたのかまでは描かれていませんでしたが、生活的自立を果たそうとしていたのです。
全てを1人でこなし、他人の力を借りることなく生活をするということは自閉症の彼にとっては難しいのではないかと思いながら観ていましたが、彼は1人で生活することが出来ていました。
しかしながら、彼は食事と睡眠をとる際は両親のいる実家に帰ってしまうのです。
1人で生活が出来ているのに何故実家へ帰ってしまうのでしょうか。
それは、彼が心理的自立を果たせていないからでした。
心理的自立
仕事をして給料を稼げば経済的自立を果たせますし、家事ができるようになれば生活的自立も可能です。
ですが、1人で立ったときに心理的自立を果たせていなければ、自立をした際に孤独感や不安が自分を付き纏います。
形だけ自立していようが、肝心の中身が自立していなければ、真の意味で自立したとは言えないのです。
ケース・モンマは作中でこう言います。
「母親のように優しくて愛情深い人が欲しい」
この発言は、まさに彼が心理的自立を果たせていないことを示しています。
彼は、自分が抱えている心の問題を母親に解決してもらっていました。
だからこそ、彼は母親のような自分の葛藤を全て解決してくれるような存在がいなければ生きていけないと感じているのです。
自立とは、問題を自己解決する能力があるということです。
経済的自立とは、経済的な問題を自己解決する能力があることですし、生活的自立とは、生活的な問題を自己解決する能力があるということです。
つまり心理的自立とは、自分の心の中で起きた問題を自分で解決する能力があるということになります。
愛情飢餓感を始めとした欠乏感を、他者を使ってではなく自力で満たすことのできる人が、心理的自立を果たしているということになるのです。
欠乏感と向き合う
心理的自立を果たすのであれば、自分の欠乏感と向き合うことは必要不可欠になります。
他者に依存することなく自分の欠乏感を満たせるようにならない限り、真の意味で自立したとは言えないのです。
あなたの抱える欠乏感と向き合うのであれば、まずはその欠乏感が正しいものなのかを精査する必要があります。
なぜなら、僕たちが欠乏していると思っているだけで、本当は既に充足しているというパターンが多いのです。
どうしてそうなってしまうのかと言えば、物事を測る基準値が高くなってしまっているからでしょう。
例えば、月収30万の人が50万を基準値としてしまっていると、十分に稼いでいるにも関わらず不足を感じてしまいます。
この欠乏感は正しいのかと考えれば、彼にとっては正しいのかもしれませんが、事実だけを比べてみれば正しくはないのです。
自分が抱えている基準値を改めて見返してみて基準値を下げていくことで、欠乏感を感じにくくすることができます。
そして、基準値を下げても対応できないものに関しては、自分で自分を愛してあげることです。
自分に対して不足と感じるのは、今の自分を受け入れることが出来ないからです。
今の自分で十分なのに、あれも足りない、これも足りないと自分を追い込んでしまうから、欠乏感に苦しむことになるのです。
認められたいと言った感情を捨て、今の自分で十分であるということに納得することで、欠乏感と距離を置くことができるでしょう。
まとめ
真の意味で自立をするには、心理的な自立が必要不可欠です。
経済的、生活的に形だけを整えても、心がついてこなければ自立をしても孤独感や不安に悩まされるだけになってしまいます。
大切なのは、自分の欠乏感と向き合うことです。
そもそもその欠乏感は正しいのか、本当に欠乏しているのかを見直し、自分自身を愛することで、段々と心理的自立を果たすことができるのです。
人生において大切な心理的自立を優先し、自分と向き合ってみるのが良いのではないかなと思っています。
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