こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。
毎日自分と向き合い、自分の精神性を磨き上げる日々。
それが僕の喜びであり、その精神性を磨くことで得られる世界の喜びを他の人にも感じてほしいと思って活動しているのが僕の現状でした。
ですが、ここ最近すこぶる調子が悪くて、どうしたものかと悩んでいました。
定期的にくるガス欠です。
原因は様々なものがいくつも関係しているように感じられるので、この問題を解決するのは骨が折れそうだと感じる部分もあるのですが、やはりこの壁を完全に乗り越えられないと自己実現できているとは言い切れないように思うので、今回は自身の不調から自己実現に向けてすべきことを考えていきたいと思います。
ぜひ最後までご覧ください。
不調の原因
どうしても行動をするエネルギーが沸いてこない。
この不調の一番の原因は、ワクワクすることをしていないからではないかということに気づきました。
人間というのは、何か行動を起こすときに2種類の動機から行動を起こします。
1つは欠乏動機からくる、欠乏感を満たすための行動。
そしてもう1つは、成長動機からくる、自己実現をするための行動です。
この2種類の動機を使い分けながら人間はより良い生活を求めて生きていくのですが、この2つの動機は全く性質が異なります。
欠乏動機は、心のエネルギーを消費しながら、多少やりたくないことでも無理をすることで、自身の安心感を手に入れるために行動を起こさせます。
なので、行動を起こしてく限りは現実は欠乏を満たすような世界に変わっていくかもしれませんが、心のエネルギーを摩耗しすぎて、不健康な精神状態へとなっていってしまうのです。
しかし、成長動機は違います。
成長動機は、自己実現欲求を生み出します。
その自己実現欲求は、ただ自身の喜びのために生まれてくるもので、究極何の意味がなくてもやってしまいます(もちろん、結果的に意味が生まれることは多いです)
この何の意味もないのにやってしまうという行為は、自身の喜びを生むことにより、心のエネルギーを回復させ、ポジティブな状態を維持してくれるのです。
全く違う性質を持っていることはこの説明を聞いていただければ分かっていただけるかなと思うのですが、僕自身の話をすると、行動が出来ないほど精神が疲弊しているということは、心のエネルギーを充填できていない。
つまりは、欠乏動機で行動している可能性が高いということが分かったのです。
欠乏感を手放す
僕自身ここまで心が疲弊してしまったということは、自分自身と向き合うことが欠乏動機から来ている可能性もあるし、向き合って理解したことを発信している行為が欠乏動機から来ている可能性もあるわけです。
もちろん、自分の中では自分自身と向き合うことに面白さを感じているし、発信することも価値のあることだと思っているからやっているのですが、どうやらその考え方はあくまで合理化であって本質的な望みではないと考えた方が良いみたいです。
ここで1つ引っかかったのが、自身が抱えている欠乏感でした。
特に恋愛面で強く出てくる愛情飢餓感と承認欲求。
この2つが僕の無意識の中で行動をコントロールしている気がするのです。
そう考えると、僕のすべきことは自身の欠乏感を手放すことなのではないかと考えました。
そして、今回の仕事という面と恋愛という面の両軸から見てみると、僕が抱えている課題は、お金に対する欠乏、そして愛されることに対する欠乏なのだと思うのです。
お金を稼がないと自分には価値がない、若しくは、お金がないと不幸になるというメンタルブロックを僕自身抱えています。
過去に家庭環境でお金がなかったことに対して感じてきた価値観が、未だに根付いているのです。
その価値観がある故に、心理学の発信を仕事にしていこうと考えると、自己実現的にただ発信をして満足する世界から、お金を稼ぎたいという欠乏的な世界に引き摺り込まれ、気づけば数字を追うだけの苦しい生き方になってしまったのでした。
そして、そのお金の欲求も、根っこを辿っていくと愛されたいという欲求に繋がっているのでした。
小さい頃から非常に自己愛的で、愛情を求め続けて生きてきた人生です。
そんな僕が抱えているのは、お金がなかったら見捨てられる、パートナーを幸せに出来ない、男として社会的に価値がないと認められないという自身の認知。
(今書いていて気づきましたが、この欠乏感はまんま父に対する認識ですね)
愛されるためにはどうしたらいいのかということを行動原理の核に据えて生きてきた僕にとって、この価値観は人生の羅針盤と言っても過言ではないのです。
でも、いまこの欠乏感のせいで人生の方針がずれ、苦しい思いをすることになってしまっている。
ですから、もうこの欠乏感を手放すほかないのです。
お金を得ることを諦める。
お金があって裕福な人生を諦めるんです。
それがなくても、自分は幸せになれるということに気づく必要があったんです。
そしてそれは愛されることも同じです。
自分の大切な人に愛されることを諦めるんです。
欠乏している自分を愛してくれないのであれば、それはその人とは縁がなかったということ。
将来誰かと結ばれなかったとしても、それでも自分の本質的な幸せはあるのだと気づくべきだったのです。
本質的な幸せはいつだって欠乏動機から生まれるのではなく、成長動機、自己実現的な生き方から生まれるものなのです。
ワクワク感を大切に
もっと自分が行動できるように調整していく上で大切なこと。
それは、ワクワクに従うことです。
欠乏動機からくる行動に、ワクワクする感情は生まれません。
欠乏動機を満たしていった時に得られるものは一時の安心感であって、胸を躍らせるような楽しい感情は生まれないのです。
小さい頃、ゲームを買ってもらったときに、ゲーム屋さんから家に着くまでのあの時間はすごく心を躍らせたものでした。
放課後友達と遊ぶ約束をした日の、それまでの一日もすごくワクワクしていたことを覚えています。
なんの価値も生まない、ただ自分が楽しむだけの時間。
僕たちは、小さい頃は自己実現的に生きていたのです。
それがいつからか、感情を思考でコントロールするようになり、規範意識で自分を縛り付け、苦しい生き方を強制するようになってしまったのです。
自分の好きで人生を溢れさせましょう。
好きなことをするから、心のエネルギーが回復出来て、より生産的な生き方が出来るのです。
好きなことをせずに自分を律していても、その先に幸せはありません。
僕がするべきことは、お金や愛情に対する欠乏を手放し、心がワクワクする方向に進むことだったのです。
実はやりたいコンテンツ制作があったのですが、欠乏動機でそれをやることを延期し、やりたくもないSNS関係に手を出そうとしていたので、まさに欠乏感に食い殺されていた状態でした。
もう、愛されることは諦めます。
自分のやりたいように生きて、それでもそんな自分を愛してくれる人に出会えたら、その時に愛してもらえばいいのだなと、改めて思えました。
そして、ここからが一番大切なこと。
今回は僕の話が中心でしたが、みなさんにも同じように生きる権利も力もあります。
欠乏動機から生きる苦しみから抜け出し、自己実現的に生きるポテンシャルはあるんです。
ただ、その使い方をまだ知らないだけ。
自分がどんな人間で、どうしたいのかが分かっていないから、まだ欠乏的に生きているだけです。
ですが、人生は変えられます。
人生やり直しは出来るなんて言葉がありますが、過去に遡ってやり直すことは出来ないけど、今から生き方を改めることは出来るのです。
諦めないでほしいんです。
現実と向き合うのは最初は辛いかもしれないけど、困難から逃げないでほしいんです。
確かに困難から逃げたら、その時は安心で気分は楽かもしれません。
でも、困難から逃げたら、それを解決していないから起こる問題が幾度となくあなたを苦しめます。
そう、どっちにしろ苦しいんです。
だったらもう目の前の困難を解決して、より良い人生に向かっていった方が幸せじゃないですか。
ただのそこらへんにいるような人間のぼくでも、大きく変わり始めています。
今回も自分の課題と向き合って、気づきを得ることができました。
僕に出来てあなたに出来ないことなんてないのです。
必要なのは、傷つく勇気です。
自分の弱いところを認める勇気です。
自分がいかにちっぽけな存在だったのかを、情けない現実に打ちのめされる勇気を持つことがあなたを変えるのです。
まとめ
人生に課題を感じたとき、それは欠乏動機で行動をしているということです。
欠乏感を満たそうとやりたくもないことばかりするから、心のエネルギーが枯渇して辛くなってくるのです。
自己実現的に生きましょう。
意味がなくていいんです。
生産的でなくていいんです。
価値のあることでなくても、自分の心が満たされることなのであれば、それをしていていいのです。
欠乏感を手放し、思い切って諦めることです。
その諦めた先に、本質的な幸福が待っているのです。
頑張れないなら、頑張らずに生きてみる。
思い切って開き直って好き勝手生きてみる。
心のエネルギーが回復したら、きっと違う未来へ進んでいけると思いますよ。
【カウンセリング、コーチング始めました】
脱不幸をして自分らしい人生を送りたい人はこちらもご利用ください。
一緒に人生をより良くしていきましょう。