【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

自己理解とは動機を明確に理解すること

こんにちは、たけうちです。

はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

 

www.takeuchipsychology.com

 

人生をより良くしていくためには、自分と向き合う必要があります。

自己理解、自己受容、そして自己実現と3つのステップを経ていくことで自分の人生をより良くしていくことができ、この過程を自分と向き合うと言っています。

 

この3つのステップのうち、1番初めに向き合うべき壁である自己理解ですが、いざ自己理解しようと取り組んでみても、なかなかうまくいかないことも多いのではないかなと思います。

 

そもそも自己理解という概念がよく分からず、自己理解出来ているかどうかも分からないという人は、自己理解について理解を深める必要があるのでしょう。

自己理解とは何なのかを理解することで、自己理解自体を進めやすくなります。

 

今回の記事では、自己理解とはというテーマでお話していきます。

最後までご覧ください。

 

 

 

動機を明確に理解する

自己理解とは、文字通り自分を理解することです。

特に自分自身と向き合うような場面で行う自己理解とは、何故自分がこの行動をとるのかという動機の部分を、本質的に理解することを指します。

 

人は合理化という行動をとります。

合理化というのは、本心を隠し、さも正しいかのような言い訳を作って自分の本心を嘘で塗り固めることです。

 

自分が本音であると思っていることでも、本音の部分を探っていくとそれは合理化である場合が多いので、自分の行動の動機が合理化されていないかを考え、その合理化に気づき、本当の動機を見つけることが本質的に自分の動機を理解するということになります。

 

自分の合理化に気づくということが、自己理解をするということなのです。

 

本心は動機に現れる

なぜ自己理解をするうえで、行動ではなく動機を明確にする必要があるのかと言うと、自己理解というのは自分の本心を理解することであり、自分の本心とは、行動ではなく動機に現れるからです。

 

例えば、あなたが対して仲良くない友人に、遊びに誘われたとしましょう。
あなたが誘いに乗ったとして、何故遊びに行くのかを本質的に理解することが自己理解です。


遊びたくて誘いに乗ったのか、本当は行きたくないのに友人関係を維持するために誘いに乗ったのか。
自分の行動は同じでも、動機が違えば、理解すべき自分も変わってくるのです。

 

関係維持のために誘いに乗ったとして、自分でそれに気づいているのであれば自己理解はできていると言えますが、人は自分に嘘をつきます。

自分自身に嘘をつき合理化をすることによって、自分が納得できるような状態を作り上げるのです。

 

もしも自分の行きたくないという本音を誤魔化して、本音をなかったことにしてしまっていたら、自分の本音が分からなくなり抑圧的な生き方になってしまいます。

抑圧的な生き方というのは、本当の自分を表現できないということであり、自分を裏切る生き方であり、欠乏感を感じる不幸な生き方なのです。

 

僕たちは幸せになるために生きていますから、不幸な生き方は避けなければなりません。

だから、動機を明確にし、自己理解へつなげることが大切になってくるのです。

 

本音を見つける方法

どのようにしたら自分の本音を見つけ、動機を明確にすることが出来るでしょうか。

動機を明確にするということは、合理化に気づくということであり、それは自分の抑圧に気づくということでもあります。

 

人は本音を無視し、抑圧をするとストレスを感じるものです。なんとなく胸がもやもやしたり、喉が締まる感覚があったり、気持ちが落ち込んだりします。

そういったストレスによる体の反応に気づくことで、自分が抑圧をしていることに気づくことが出来るのです。

 

そこで抑圧には気づいたけど自分の本音が分からない場合は、自分と対話することが大切です。

どうしてもやもやとしたのだろうか。
本当はどうしたかったのだろうか。

しっかりと自分と対話することで、答えというものは見つかるはずです。

 

例えば僕は、他人に好意的に振舞っている自分がいることに気づきました。

何故自分がそういった行動をしているのかを考えてみると、表面的には他人に優しくしたいからという合理化した動機が出てきましたが、なぜかしっくりきません。

 

誰かに好意的に振舞っているときは心が満たされることはなく、漠然とした欠乏感を感じていたのです。

その欠乏感はなんなのだろうと、さらに自分と向き合ってみると、自分は愛されたかったのだという本質的な動機が見えてきました。

 

僕の抱えていたモヤモヤは、他人から愛されたいという欠乏感だったのです。

この愛されたいという欲求をそのまま表現するにはあまりにも幼稚すぎる。

だから僕を愛してくれなんて口が裂けても言えない。

僕は愛してほしいという心の叫びに蓋をして抑圧し、動機を合理化することによって愛されるために行動していたのです。

合理化は欠乏感の正当化であり、自分が合理化をし続ける限り欠乏感からは逃れることは出来ません。

なので、自分が本当は愛されたくて周りにそれを求めているということを認めなければならないのです。

 

その抑圧した本音がどんなものであれ、自分の本音なのだと認めることが大切なのです。

 

自分は本当はこうしたかったけど、好かれたくてこうしてしまった。
自分は本当はこう思っていたけど、嫌われたくなくてこう言ってしまった。

このように、自分の本音をしっかり明確にすることが自分を理解するということなのです。

 

 

 

まとめ

自己理解とは自分の動機を明確に本質的に理解することです。

それは本心を理解するためであり、本心は動機に現れるからです。

 

合理化で自分を騙して生き続ける限り、欠乏感を感じ続け、不幸な人生をさまよい続けてしまいます。

 

だからこそ僕たちは合理化をやめ、自分の本心に気づくために抑圧に気づかなければならないのです。

 

自分の抑圧というのは、なんとなく胸がもやもやしたり、喉が締まる感覚があったり、気持ちが落ち込んだりと、なにかしらの反応が体に現れます。

 

その感覚から抑圧を見つけ、自分が何を抑圧しているのか、本当はどうしたいのかを探っていくことが大切なのです。

 

自己理解とは動機を明確に理解することであり、合理化に気づくことであり、抑圧に気づくということです。

自分のことがよく分かっていないという人は、自分の動機に着目してみてください。