こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。
このブログでは、自己理解、自己受容、自己実現を大切にと常に伝え続けています。
自己理解をして、その自分を自己受容し、最終的に自己実現していく。
これが僕たちが幸せになる方法なのです。
さて、様々な角度から自分を理解するためのヒントをブログを通して投げかけているのですが、記事によってはかなりダメージの高いものもあるかと思います。
自分の悪い部分をストレートに指摘されるということは、やはり辛いものですよね。
そうやって本当の自分と対面したときについ自分を責めてしまってはいないでしょうか?
確かに自分の悪い部分ではありますが、そこを責めてしまっては自己受容へと向かうことが出来ません。
出来ることなら自分を責めずに、上手く悪い自分と向き合っていきたいものです。
ではどうしたら自分を責めずに自分と向き合っていけるのでしょうか。
今回の記事では、自分を責めないことをテーマにお話していこうと思います。
自己理解の弊害
自分を理解することは大切なことです。
自分を理解しないことには、自分を愛してあげることは出来ないからです。
自分を愛するということは、ありのままの自分を愛するということであり、良い自分も悪い自分も愛するということです。
そのためには、自分はどんなところが良くて、どんなところが悪いのかということを、しっかりと理解する必要があるのです。
ですが、自分と向き合って自分の良い部分と悪い部分の両方が見えてくると、その悪い部分のネガティブなイメージが自分を攻撃してきます。
ダメなことは許されないという思い込みがある人にとって、悪い自分というのは攻撃対象であり、否定し、叱責することに繋がってしまうのです。
例えばあなたが、行動力がない人間だとしましょう。
あなたは行動力がないことは良くないことで、できれば行動力のある人間になりたいと思っているとします。
もし、あなたがダメな自分を許せないとしたら、自分と向き合って行動力のなさを目の当りにしたら自分を責めてしまうでしょう。
どうして俺は行動できないのだろう。
周りはみんなやりたいことをやってイキイキしているのに、それに比べて俺はダメな奴だな。
このように自分を責め立てて、折角自分と向き合って幸せになれるチャンスを見つけたのに、また不幸へと逆戻りしてしまいます。
本来であれば良い自分と悪い自分の両方を受け入れていくべきなのですが、やはり良く在りたいと願う僕たちは、悪い自分を受け入れることが出来ず責めてしまうのです。
ですが自己理解の次は自己受容、つまりその自分を受け入れるということです。
自分を責めるという行為は自己受容の真逆をいく行為であり、そうやって自分を責めている限り次に進むことが出来ないのです。
だから自分を責めないことがとても大切なのです。
悪い自分を責めなくていい
責めないことが大切なのはわかったけど、どうして自分を責める必要がないのでしょうか。
悪いのは自分なのだし、自分を責めるのは当たり前のように感じる人もいるかと思います。
でもそう感じるのは間違っているのです。
それは、人は不完全な生き物だからです。
ダメであることが自然であり、当たり前であり、リアルだからです。
例えば、街中に生えている木々に目を向けてみてください。
絵に描いたような美しい完璧な木々があるでしょうか。
全てがどこかしら不格好で、規則性はなく、おかしな部分を抱えています。
でも、それでも木々は美しい。
堂々とした佇まいで、しっかりと根を張り、力強く生きています。
そんな木々がダメな部分を抱えているのに美しいのは、それが当たり前だからです。
どこかしら不格好で、規則性はなく、おかしな部分を抱えていることの方が自然で、当たり前なのです。
自然界に生きる生き物は、不自然であることが自然なのです。
人間も元々は自然界の生き物ですから、木々と同様、不格好で不自然なところがあって当たり前なのです。
叱責行為というのは、過ちを非難することです。
先ほども申し上げた通り人間は自然界の生き物ですから、完璧などなく、ダメであることが当たり前なのです。
だから失敗や劣っているところを非難する必要はないのです。
自分を責めないために
自分を責めないためには、どんな自分も許す姿勢が大切です。
僕たちは小さい頃から失敗はダメなものという教育を受けてきたがゆえにそういう価値観を持ってしまいましたが、真実は違います。
ダメなものはダメであっても、別にそれでいいんです。
あなたの顔が醜くても、別にそれでいいんです。
あなたが仕事をしていなくても、別にそれでいいんです。
あなたが他人を愛せなくても、別にそれでいいんです。
顔が醜いという事実があるだけであり、仕事をしていないという事実があるだけであり、他人を愛せないという事実があるだけです。
それは他人と比べたら優劣はつきますが、劣っているから悪いということではないのです。
大切なのは、ダメなりに精いっぱい生きること。
より良い自分を目指してもがくことです。
顔が醜いなら、その素材をどこまで活かせるのかを考えることです。
仕事をしていないなら、その状態から次にどんな仕事をするのかを考えることです。
他人を愛せないなら、どうして他人を愛せないのかを考え、他人を愛そうと努力することです。
俺はダメな人間だからもう頑張らないといって腐ってしまっては、本当に不幸な人生になってしまいます。
こういった態度は自分を受け入れてるのではなく、自分から逃げているだけです。
ダメな自分と向き合いたくないから、開き直って逃げているのです。
でも、心の奥底では本当に在りたい姿を知っているはずです。
自分に嘘をつかず、本音を無視しないで現実と戦うのです。
今の自分が自分にとって100点満点なのだとしたら、これ以上良い自分を目指す必要もないでしょう。
ですが、今の自分が100点満点ではない以上、もがくべきなのです。
ダメな自分なりに、今の自分が到達できる最高到達点の自分を目指して日々正しく生きるのです。
いまから女優のような美貌を手に入れるのは難しいかもしれません。
それは、そもそも持っている骨格が違うからです。
でも、あなたらしい美しさを追い求めることは出来るはずです。
いまからプロ野球選手という仕事に就くのは難しいかもしれません。
それは、あなたにできることは野球ではなく別のことだからです。
でも、あなたにもできる仕事というのは存在するはずです。
いまから急に人を愛せるようになるのは難しいかもしれません。
それは、今現在のあなたは人を愛する方法を知らないからです。
でも、これから愛することを学んでいくことはできるはずです。
変えられないものに固執せず、変えられるものに目を向け現実的な最高得点を叩き出すことが自己実現なのです。
自分の弱さを認め、自分の悪い部分と正面から向き合えるようになったとき、人は成長するのです。
まとめ
自己理解は悪い自分と正面から対峙しなければならない分、自分を責めてしまう可能性が高くなります。
それはダメな自分を許せないからです。
ダメなことはいけないことであるという環境で育ってきたから、そういった価値観を刷り込まれてしまったのです。
ですが、ダメなことは悪いことではありません。
ダメであることは事実であっても、それが自然なことであり、当たり前のことなのです
。
だから自分を責める必要はなく、ただただ悪い自分を受け入れていけばいいのです。
どんな自分であっても許すことです。
大切なのは、ダメな自分を責めることではなく、ダメな自分なりにどう生きるかを考えることです。
より良い自分を目指してもがき続けるのです。
今自分が出せる最高得点を出すということが、自己実現と言えるでしょう。