【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

誰かに理解される必要はない

こんにちは、たけうちです。

はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

 

www.takeuchipsychology.com

 

自分の本音に従おうと行動するとき、他人からの理解という壁にぶつかります。

全ての人が自分の意思を理解してくれることはありませんから、必ず本音の自分に対して批判的な人は現れるものです。

 

自分に対する自信がなかったり、他人軸に生きている人は、こういった他者の意見というものを重要視ししてしまう傾向があるので、理解されないことに対して傷つき、不満を感じてしまいます。

 

そして理解されない自分を否定し、理解される自分になろうと迎合を始めてしまうのです。

 

こうしてしまっては、いつまで経ってもありのままの自分で生きることはできず、どことなく満たされない人生を送ることになってしまいます。

 

では、どのように生きることでこの問題は解決されるのでしょうか。

今回の記事は他者からの理解に焦点を置いてお話していきます。

ぜひ最後までご覧ください。

 

 

 

他者からの理解の必要性

自分の人生を生きるうえで、必ず理解しなければならないことがあります。

それが、他者からの理解は、自分の人生を生きるうえで関係ないということです。

 

例えば、僕は心理学や哲学を用いて人々が幸せになる生き方を模索しています。

自分の不幸が何であるかを理解し、原因を取り除いていけば、人は自己実現的になり、いずれ幸せになれると信じているのです。

 

こういった現実性のない妄想にも聞こえる夢は、大抵理解されることはありません。

どうせ無理だと思われたり、宗教じゃないよねと言われたこともあります。

 

ですが、自分の本心は他者から理解してもらえないと気づいたとしても、僕はこの本心を捨てることはできません。

なぜなら、今も生きることに苦しみを感じている人はたくさん存在するし、これから生まれてくる子どもに自分と同じような辛い思いをさせたくないからです。

 

誰からなんと言われようとも、自分がやらなければならないと確信しているのです。

だからこうして毎日コツコツと活動をしているのです。

 

今僕が誰からの理解がなくても活動できているということは、他者からの理解は必要ないことを意味しています。

そこにあるのは、他者からの承認ではなく、やりたいというシンプルな動機です。

 

自分がそれに強い価値を感じている。

そして、その自分の感じている価値を自分が信じる。

 

これこそが、他者からの理解なしに本音に従うことで必要なことなのです。

 

正しさは自分の中に

正しさとは、観測者によって変化します。

なので、自分がやりたいと思ったことが他人にとっては正しくないことは当たり前のことであり、それを気にする必要は全くないのです。

 

自分の人生の正しさとは、みんなが理解してくれるかどうかではありません。

あなたがそれを望んでいるかどうかなのです。

 

人生における正解を外側に求めるから、自分の軸がブレるのです。

大多数と同じであることが正しいのではありません。

自分に正直に従っている状態が正しいのです。

 

だから、理解される必要がないのです。

理解を求める行為とは、他者に正解かどうかの烙印を押してもらおうとする行為です。

そんなことはせずに、自分が納得する結末を選択すること。

これが自分の人生を生きるということです。

 

自分が着る洋服のコーディネートを、他者に理解される必要はないのです。

誰にも理解されなくても、それを着ていて自分が満足できれば、それでいいのです。

 

自分がやりたい仕事を、他者に理解される必要はないのです。

誰にも理解されなくても、その仕事をしていて自分が満足できれば、それでいいのです。

 

正しさを外側に見い出すことをやめて内側に目を向ければ、自然と本来の自分で生きられるようになるのです。

 

理解を求めてしまう理由

僕たちが他者に理解を求めてしまうのは、自分の価値を自分で信じられないからです。

他人に評価されることが人生において重要で、自分がどう思うかを大事にしていないからです。

小さい頃に自分の判断、価値観を否定され、外側の判断軸こそが正しいと植え付けられてきたからです。

 

でも、外側に頼っている限り、自分を信頼していくことはできません。

だから他人には他人の価値観があることを理解して、そのうえで自分の価値観を一番大切にするのです。

 

よそはよそ、うちはうちなのです。

 

自分は食べ物の中で唐揚げが一番美味しいと思っているけど、他の人はオムライスが美味しいと思っている。

この状況で、みんなはオムライスが好きだからオムライスが好きってことにしようとは考えまないでしょう。

 

すべてのことが、これと同じなのです。

みんなはオムライスが好きだとしても、私は唐揚げが好き。

この感覚なのです。

 

理解される必要はありません。

知っておいてもらえればそれでいいのです。

 

外側が正しいのではありません。

あなたがどう感じるか、そこに正しさはあるのです。

 

 

 

まとめ

他者からの理解を得たいという気持ちは、他人軸で生きている限り手放せません。

理解される必要があると感じているし、理解されないと自分が否定されたような気持になる。

この葛藤が自分を苦しめます。

 

ですが、僕たちは理解される必要はまったくありません。

自分の本心の赴くまま、その気持ちに身を任せておけばいいのです。

 

なぜなら正しさとは、他人が決めるものではないからです。

自分が正しいと思うことを選択することが、人生における正しさなのです。

 

自分がどう思うかにしっかりと注目し、その気持ちを大切にしてあげることで、だんだんと他人の理解を必要としない生き方が出来るようになるのではないでしょうか。