こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。
コミュニケーションに関するトラブルというのは非常に多く、最悪人間関係を壊してしまうものもあります。
様々な種類のトラブルがあると思いますが、事実を述べることも人間関係にトラブルを起こすコミュニケーションの一種なのではないかと思います。
事実というのは事実なのだから正しいはず。
だから言っても問題ないはずなのに、どうしてトラブルに発展してしまうのでしょうか。
その原因を理解し、事実をどう扱うかを学ぶことで、人間関係をより良くすることができるでしょう。
今回の記事では、事実を述べることの妥当性についてお話していきます。
ぜひ最後までご覧ください。
事実が生む人間関係のトラブル
冒頭でも書きましたが、事実とは正しいもの。
そんな正しい情報を相手に伝えることで、人間関係を悪くしてしまうことがあります。
正しいことを伝えただけなのに、どうしてトラブルに発展するのかが分からない人もいるかと思いますので、具体例を交えて考えてみたいと思います。
例えば、誕生日祝いにケーキを買ってきたとしましょう。
ケーキを等分し、いざ食べてみるとそこまで美味しくない。
折角選んできてくれたけど、美味しくないから次はこのケーキを買うのはやめようと、買ってもらった側が言うわけです。
このコミュニケーションを見てどう思うでしょうか。
そんなこと言う必要ある?と思う人が大半なのではないでしょうか。
こんなのフィクションでしかいないだろうと思う人もいるかもしれませんが、実はこの話は僕の家族の話で、ノンフィクションなのです。
確かに、事実としてケーキはそこまで美味しくなかったのですが、だからといってその事実を口にして良いのかという話で、喜んでほしくて買ってきた人がそれを言われたらどう感じるかという部分の配慮が出来ていないわけです。
どれだけ事実が正しかったとしても、その事実を伝えた相手が不快な思いをするのであれば、それは言ってはいけないことなのです。
コミュニケーションで重要なもの
事実が正しかったとしても相手の配慮が優先されるのは、それが人間関係だからです。
人間関係において一番大切になるものは愛であり、愛をもって接するということは、相手の立場になって物事を考えるということです。
事実を伝えるということで、相手はどのように捉えるだろうという想像力が欠如しているから、相手が不快に感じる事実を伝えてしまうのです。
良好な人間関係というものは、愛のあるコミュニケーションから生まれます。
お互いがお互いを大切にし、尊重しながら関わりあうことで、良い関係を作り上げることが出来るのです。
もしも事実ベースのコミュニケーションをしていて相手への配慮が出来ていなかったという自覚があるのであれば、事実ベースのコミュニケーションから愛ベースのコミュニケーションに切り替える必要があるでしょう。
愛の双方向性で成り立っているのが本来のコミュニケーションです。
相手の気持ちを考えないコミュニケーションというのは、言ってしまえばマスターベーションと変わりない、自分本位のコミュニケーションなのです。
正しさとは
事実とは正しいですが、それは事象の世界においてのみ有効な正しさであり、コミュニケーションの世界において正しいのは、事実でははく愛です。
それは、コミュニケーションとは人間関係であり、人間関係を良好にするものは愛だからです。
正しさはどの視点から見るのか、どの土俵に立つのかで中身が変わってきます。
戦国時代、人を殺すことが正しかったのは、戦国時代という土俵があったからです。
現代でもし人を殺したとして、土俵が違うのだから裁かれるのは当たり前でしょう。
それと同じことです。
事実を述べることが正しいというのは、そういう土俵でのみ扱える理屈です。
そんなことも理解せず、コミュニケーションという土俵で事実を述べて他人を傷つけても悪びれもしないというのは、自分がどの土俵に立っていて、その土俵で大切なことは何かということが分かっていないということなのです。
今自分が立っている土俵における正しさとは何なのかを考えましょう。
どの土俵でも通用する正しさとは存在しないのです。
正しさの性質は変わるということを理解し、それを意識することが人生において大切なのだと思います。
まとめ
事実を述べることは、適した土俵においては正しいのです。
ですが、正しさとは姿形が変わるものであり、どの土俵でも通用する正しさとは存在しないのです。
今自分が立っている土俵では何が正しいのかを理解し、その正しさに従って行動することが、人生をより良くしていくために必要なのだと思います。