【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

自分を幸せにするのは誰か

こんにちは、たけうちです。

 

幸せになりたいと願うのは人として当たり前の願望であり、そう望まない人は少なくないと思います。

幸せになりたいと願うこと自体は良いことなのですが、少し考えてみてほしいのです。

あなたが幸せになるにはどういった条件があるでしょうか?

実は幸せになるには、誰が自分を幸せにするかといった部分が大切なのです。

 

今回の記事で、自分を幸せにするのは誰かを明確にして、正しく幸せが追求できるようにしていきましょう。

 

 

 

さて、あなたが思い描く幸せは、誰があなたを幸せにしますか?

 

愛されたら幸せになれると感じている人は、親や恋人など、愛情を与えてくれるであろう人があなたを幸せにすると感じているはずです。

 

自分の能力が認められたら幸せになれると感じている人は、会社の上司や同僚など、能力を評価してくれる人があなたを幸せにすると感じているはずです。

 

こういった、他者が自分を幸せにしてくれると考えている人、言い換えると、自分の幸福が他者依存になっている人は、その考えを今一度考え直す必要があります。

 

というのも、これでは自分で自分の幸せをコントロールすることができませんし、何よりも誰かに何かをしてもらって自分の気持ちを満たそうとするその態度は、甘えた態度でしかないからです。

 

与えられることに価値を見出してしまうことは、子どもが親から無償の愛を貰うかのような、そういった甘えの精神が存在していることを意味しているのです。

 

私たちの心が成長していないと、こういった甘えの精神が出てしまうことがあります。

ですが、世の中都合よくあなたになんでも与えてくれるわけではなく、そういった状況ではあなたは不満になってしまいます。

それは幸せとは反対側の状態であり、出来れば幸せとは言わなくても、フラットな状態でいたいものですよね。

 

僕たちが理解すべきことは、自分を幸せにするのは他人ではなく自分であるということです。

自分で自分を幸せにできる人こそが、自立した人間であるのです。

 

〇〇に奢ってもらった。

〇〇にこんなサプライズでお祝いしてもらった。

こんなプレゼントをもらった。

いつもこんなに尽くしてくれる。

 

こういったことは間違いなく嬉しいです。

嬉しいことではありますが、これを自分の幸せの指標にし、求めてはいけないということです。

 

僕たちは自分が幸せだと思うことを追求してしまうがゆえに、ついこういった与えられることを相手に求めてしまいます。

 

それはただの甘えで、相手のことを何も考えていない自己中心的欲求なのです。

 

そうではなく、自分で行動し、自分を喜ばせるようにすることが大切なのです。

 

愛されることを求めるのではなく、愛することを求める。

与えられることを求めるのではなく、与えることを求める。

 

真の自立した幸福は、能動的な態度に隠れているのです。

もう受け身でいるのはやめにしましょう。

受け身でいる限り、自分の幸せはコントロールできず、相手依存の幸せになってしまいます。

 

今一度自分の幸せを見直して、相手依存の幸せではなく、能動的で自立した幸せになるよう考えてみるのが良いのではないかと思います。