こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。
僕は口を酸っぱくして、自己受容の大切さを説いています。
自己受容が人生を転換するうえでカギとなる要素であり、現実の自分を受け入れないことには、その自分を改善し、より良い自分を目指すことは難しいからです。
そんな大事な自己受容について、とある疑問をいただく機会がありました。
「受け入れると、甘やかすことの違いってなんなの?」
非常に目から鱗な質問で、核心をついているなぁと関心するものでした。
他者に対して他者受容することと、甘やかすことに違いはあるのか。
自分に対して自己受容することと、開き直ることに違いはあるのか。
今回の記事では、正しい受容の仕方についてお話をしていこうと思います。
ぜひ最後までご覧ください。
受容と甘やかし
今回もらった質問が「受け入れると、甘やかすことの違いってなんなの?」でした。
相手のダメな部分に対して、それを受け入れていくことと、甘やかすということにどんな違いがあるのかという話なのですが、ここの違いというのは、その行為がどこを見ているか、だと思います。
この受容的な姿勢で相手のダメな部分と向き合うというのは、相手のダメな部分という部分を受け入れたうえで、ダメなりにどうしていくかという未来に向かって視点を向けるということです。
それに対して甘やかすというのは、相手のダメな部分を認識し与えはするものの、成長や自立という部分に目を向けてはいません。
ここが一番の違いなのかなと思います。
受容の先にあるものは自立であり、甘やかしの先にあるものは依存であるというのが、いただいた質問の答えでしょう。
甘やかしと開き直り
今回の質問は、他者受容と甘やかしというテーマで質問をしていただきました。
ここから話を広げて、自己受容の場合について考えていきたいと思います。
他者への甘やかしというのは、受容と違って自立を妨げるものです。
その視点で見ると、自身の自立、成長を妨げる姿勢は何かといったら、開き直りでしょう。
自分のダメな部分が出たときに、その自分を受け入れてより良い自分になろうとするのではなく、自分はダメなんだからこれでいいんだと開き直ってしまうと、そこに成長、心理的自立はなくなってしまうのです。
自己受容をするのも開き直るのも、似たような意味合いですが、進む方向は全く正反対なのです。
ありのままの自分を受け入れ、肯定的に現実と向き合っていくのが自己受容であり、開き直りというのは、むしろ自分と向き合わない姿勢なのです。
自分と向き合うことを避けた逃げの行為、それが開き直りなのです。
正しく受容をするために
甘やかしも、開き直りも、自立や成長という自己実現に向けた行為ではありません。
自分の幸せ、相手の幸せを願うのであれば、自己受容、他者受容をしっかりとしていく必要があるのです。
受容とは、現実の自分、相手をそのまま受け止め、弱点となる部分を許し、弱点を抱えている事を認め、でもそんな状態でもいいのだと思うことです。
そしてそこには、今はダメではあるけども、未来もこのままでいいという考え方はありません。
だから甘やかすこともしないし、開き直ることもないのです。
向上心をもち、現在の弱さを受け入れる。
それが自己受容であり、他者受容なのです。
あくまで受け入れるのは現状のみです。
未来を放棄することはしてはいけません。
ダメでもいいから、ダメなりにそこからより良い自分を目指して生きるのです。
まとめ
甘やかすこと、開き直ること、これはどちらも成長や自立といった、より良い未来に向けた行為ではありません。
この行為で得られるのは停滞であり、依存であり、現実逃避なのです。
しっかりと受け入れましょう。
自分j自身がどんな人間であれ、ちっぽけな自分という現実を認め、そんな自分で生きていく決意をするのです。
自分の理想、世間から求められる理想とはかけ離れている自分を認めることはとても苦しいかと思います。
ですが、認めるしかないのです。
その先にしか、成長も、自立も、より良いあなたはないのです。
自分の為を思うなら、開き直ることはやめましょう。
相手の為を思うなら、甘やかすことはやめましょう。
僕たちは、成長し、自立していかなければならないのです。
その先に本当の幸せはあるのです。
今一度受容に対する考えを深めていくと良いでしょう。