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「やるべきこと」ができないのはなぜ?“やりたくない”を変える心のメカニズム

僕たちは、基本的にやりたいことしかやらない。

どうしたって、「やるべきこと」は後回しにして、なあなあにしてしまいがちです。

 

「ああ、部屋の掃除しなくちゃな。でも明日でいいか」

「ああ、買い物行かなきゃ。でも今度でいいか」


やらなければと分かっていても、心が乗らなければ身体も動かない。

人間って、たぶんそういうものなんだと思います。

 

でも最近、やらなければいけないことも、ちゃんとやれる自分でいたいと痛感しています。

今日はそんな自分の実感を通して、「やるべきことをやれる自分になるには、どうしたらいいのか」を考えてみたいと思います。

 

 

 

心が抵抗している

まず理解したいのは、やらなければならないことは、基本的にやりたくないということです。

必要だからやるだけで、必要でなければやりたくない。

そこに自発性はなく、ただの義務になってしまう。

 

そして心がついてこないまま行動すると、心と思考がずれて、自分の気持ちが置き去りになる。

結果、どこかで苦しくなってしまうんです。

それは悪いことじゃない

でも、それは決して悪いことではありません。

僕たちは社会の中で生きているから、個人の気持ちよりも集団や状況を優先する場面がある。

それはむしろ、自分を守るための健全な自己調整です。

ただ、それがずっと続くと、自分の心を押し込めてばかりになってしまう。

 

そして、やらなきゃというプレッシャーだけが残り、心と体のバランスが崩れていく。

だからこそ、「やらなきゃ」を「やりたい」に変えていく工夫が必要なんです。

後回しにしてしまう自分

少し僕の話をさせてください。

今、僕は「美と健康のイベント」に実行委員として参加しています。

その中で、やらなきゃいけないことがいくつもあるんです。

例えば、クラファン用の画像を作ったり、出展紹介の文章を考えたり。

 

もちろん、イベントを成功させたい気持ちは本物です。

でも正直なところ、画像づくりや文章作成が心から「やりたいことか」というと、そうではない。

単純に「快」ではないんですよね。

 

やりたいと思えるようになるには?

やりたくないことを「やりたい」と思えるようになれば、心と行動のズレは解消されていきます。

もちろん、「自分を律すること」で動くこともできます。

でもそれは、思考で心をねじ伏せる方法。

 

持続可能ではないし、続けているとどこかで反動がきます。

だからこそ、自分の中から「やりたい」を生み出す必要がある。

そこで大事なのが、能動性です。

愛が生む能動性

「やらされている」のではなく、「自分からやる」と決めること。

その能動性の原動力になるのが、対象に対する愛なのではないかと思うのです。

 

例えば、部屋の掃除をやりたくないのは、「別に汚くてもいいや」と思っているから。

でも、大切な人と暮らしていたら、きっと「綺麗にしてあげたい」と思う。

それは、愛が生んだ自然な能動性ですよね。

同じように、自分自身をもっと大切に思えたら、「自分のために部屋を綺麗にしてあげよう」と思えるようになるかもしれないなと僕は思うのです。

 

僕自身の気づき

僕がクラファンの画像を後回しにしてしまっていたのも、もしかすると、どこかに「お客様意識」があったのかもしれません。

 

「任されたからやっている」ではなく、「自分がこのイベントを成功させたい」と、もっと深いところで思えていたら、画像づくりも「やりたいこと」になっていたのではないかと思うのです。

 

つまり、愛を持って取り組むことが、自分を動かすエネルギーになるんです。

 

 

 

まとめ

僕たちは、どうしても「やりたいこと」にしか心が動かない。

でも、「やるべきこと」を避け続けると、人生が濁っていくような感覚があります。

 

だからこそ、自分で人生を動かす能動性と、自分や対象への愛情を持って行動を選び取っていくことが、「やるべきこと」を「やりたいこと」に変えていく鍵になる。

自分のことを、もっと大切にする。

その延長線上に、やるべきことに向き合える自分がきっといる。

 

小さくてもいい。

今日、「あえて」やってみることから始めてみませんか。

それが、未来の自分への愛になるのだと思います。