
愛に生きる難しさ
「愛を持って生きると、人間関係はうまくいく」
誰もがそう信じたいと思うでしょう。
けれど現実には、人と関わる中で欠乏感が刺激され、自己愛的になってしまい、心から相手を愛せなくなることが多いのです。
特に、十分に愛される経験を得られず育ってきたアダルトチルドレンの僕たちにとって、「人を愛する」というのは簡単ではない、非常に大きな課題です。
それでも、僕たちは人を愛したい。
愛する人生を選びたい。
そう思う人が歩むべき道について、お話しします。
欠乏感との対峙
愛されなかった僕たちは、常に欠乏感を抱えています。
「ありのままの自分には価値がないのではないか」
「どうせ受け入れてもらえないのではないか」
そんな不安が根を張っていて、安心感を持てないのです。
そのため人間関係において、どうしても自己愛的になってしまう。
つまり、自分の欠乏を他人に埋めてもらおうとしてしまう。
この自己愛的な生き方を続ける限り、他者を心から愛することはできません。
しかし、この生き方を正そうとするとき、僕たちは必ず「強い恐怖心」と向き合うことになります。
それが、欠乏感との対峙です。
欠乏を恐れるな
では、僕たちがすべきことは何か。
それは、「欠乏を恐れずに生きること」です。
ありのままの自分が受け入れてもらえなくても、それでいい。
自分に価値がないと感じても、それでいい。
そうやって、欠乏の状態を受け入れる覚悟が、愛に生きるために必要なのです。
僕の失敗から学んだこと
少し、僕自身の経験を話します。
あるとき、好きな人が「行ってみたい場所」を教えてくれました。
その瞬間、僕は「連れて行ってあげたい」と心から思ったのです。
でも、僕は「連れて行こうか?」と言えませんでした。
もし断られたらどうしよう。
好かれていなかったらどうしよう。
そんな欠乏感が顔を出して、僕を自己保身に走らせたのです。
本当に必要だったのは、断られても構わないという覚悟でした。
「怖い、それでも相手を喜ばせたい」その勇気さえあれば、僕は愛する行動を選べたのです。
愛するとは、与えること
愛するというのは、与えることです。
そして、与えるということは、同時に自分が欠乏することでもあります。
つまり、愛に生きる人生には、欠乏がつきものなのです。
そこで問われるのは、たった一つ。
欠乏を嫌だと避けて、利己的に生きるのか。
欠乏しても構わないと覚悟を決め、それでも相手のために生きるのか。
それを選ぶのは、他の誰でもなく、あなた自身です。
まとめ
欠乏は確かにつらい。
けれど、そのつらさを引き受けてもなお、誰かを幸せにしたいと思えるなら。
そのとき、あなたの愛は「本物」になります。
愛に生きるとは、欠乏を恐れないこと。
愛に生きるとは、恐怖よりも「与えたい気持ち」を信じること。
欠乏を抱えた僕たちだからこそ、誰かを愛する勇気には特別な重みがあります。
そして、その一歩を踏み出す覚悟こそが、あなたの人生を変えていくのです。
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