【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

欠乏動機で行動してはいけない理由

こんにちは、たけうちです。

はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

 

www.takeuchipsychology.com

 

人生に満足していない人というのは、大抵欠乏感というものを抱えています。

あれが足りない、これが足りないと不安、不満、不足を感じ、どことなく不幸な人生を送っているのです。

 

こういった欠乏感を満たすために必死に努力し、足りない部分を満たしてみても、まだどことなく心が満たされない。

妥協した満足というものはあっても、心の底から満足することはない。

 

欠乏感を軸にした行動をとっていては、心はいつまで経っても満たされないままなのです。

どうして満たしても満たしても心は満足することはないのでしょうか。

 

それを知るには、自分が何を欠乏しているのかを理解することが大切なのです。

 

今回の記事では、欠乏動機で行動してはいけない理由についてお話していきます。

 

 

 

真の動機を見極める

真の動機を見極めること。

これが心を満たしていく上で大切になります。

 

例えば、僕は惰性でフリーターを続けていました。

何年も何年も、頑張る気もなく、自分と向き合う気もなく、なんとなくで生きていたのです。

それが世間一般では評価されないことも知っているし、出来ることなら正社員として社会的地位を手に入れたい。

でも、どうしても頑張れない。

前に進みたいのになかなか一歩を踏み出せないという葛藤を抱えていたのです。

 

そんな葛藤を抱えている中、正社員になれるチャンスが舞い降りてきました。

掛け持ちで通い始めた所の社長が気に入ってくださり、どうせならと雇用してくれることになったのです。

棚からぼた餅な話で少し迷いましたが、いい機会だと思いこの話に乗ることにしたのですが、ここで心の中に変化が現れました。

 

ずっと自分の社会的地位にコンプレックスを抱いていて、人目を気にしてしまっていた欠乏感からやっと解放されたかと思いきや、今度は別のコンプレックスを感じ始めたのです。

 

今度は自分の収入の低さに目が行くようになり、また同じ欠乏感に悩まされるようになっていきました。

 

どうしてこうなってしまったのかというと、自分の真の動機を理解していなかったからです。

 

僕は正社員になりたいのではなく、他人から認められたかったのです。

他人に馬鹿にされない、拒絶されない自分になりたかったのです。

 

自分と向き合い、心の奥底まで潜ってみると、こういった本心が現れてきました。

 

ですが、正社員になったとして、それですべての人に受け入れられるわけではありません。

今度は別の弱点が気になりだし、この本心は収入という形に変えて、同じように僕を苦しめるのでした。

 

自分は正社員になりたいのでもなく、収入を得たいのでもない。

ただみんなに馬鹿にされず、受け入れてほしい。

 

この自分の本心に気づくことが、自分の欠乏感を理解するうえで一番大切なのです。

 

何のために自分は行動しているのか

自分が普段何気なく行動している動機について考えてみてください。

 

なんで自分はインスタ映えばかりを気にしているのでしょう。

自分の満足ではなく、他人からの評価を気にしているからではないですか?

 

なんで自分は好きな人に尽くしてしまうのでしょう。

その人を愛しているからではなく、その人に嫌われないためではないですか?

 

僕たちは想像以上に欠乏動機で行動をしているものです。

それは不安、不満、不足が怖いからです。

 

欠乏感を感じるのはとても辛いので、それを感じないために本当にやりたいことでもないのに何故か行動してしまうのです。

そこには安心感こそあれど、満足感は存在していないでしょう。

 

もしも自分と向き合い、自分の欠乏感に気づくことが出来たら、そんな飢えている自分を受け入れてあげることです。

 

こんなことばかり考えていて情けないだとか、欠乏感ばかり感じている自分はダメだといったマイナスの烙印を押さず、そんな自分でも良いじゃないかと、弱い自分を受け入れてあげるのです。

 

受け入れるには、どうしてここまで欠乏感を感じているのかを理解してあげると良いでしょう。

欠乏感を感じる原因となったものを探すのです。

 

僕の場合で言うと、自分で自分を認められませんでした。

ありのままの自分を親に受け入れてもらえなかったし、いじめにもあったことがります。

自分には欠点があり、それを克服しない限りは自分は他人から愛されないという思い込みを持っていたんですね。

 

人からの愛がないという、愛情の欠乏感が、僕を苦しめていた原因でした。

 

でも、こんな過去を経てきていれば欠乏にばかり目がいってもおかしくないし、仕方のないことだと思うんですよね。

 

ああそっか、自分は寂しかったんだなと気持ちを理解してあげること。

これが自分を受け入れることに繋がっていくと思います。

 

欠乏感に目を向けずに生きる

欠乏感に目を向けて生きるのはやめましょう。

足りないものばかりに目を向けていては、いつまで経っても欠乏感からは抜け出せません。

 

大切なのは、欠乏感ではなく今あるものに目を向けることです。

老子の言葉で「足るを知る」なんて言葉もありますが、今自分がすでに持っているものに目を向け、満足をすることが大切なのです。

 

僕は本当に認められないのでしょうか。

正規雇用であったり収入が低いというだけで、他人に受け入れられないのでしょうか。

 

そんなことはありません。

自分は自分なりに精いっぱい生きているし、誰に迷惑をかけたわけでもないのですから、このままでもいいのです。

 

客観的に考えれば、そんな自分を好いてくれている人もいました。

そういった人たちの好意を見ずに、足りない部分を見ていたのは自分だったのです。

 

自分が不足を見ることで、自分を苦しめていただけのことなのです。

 

僕たちは本当は欲しいものを既に持っています。

ただ、自分にはないと思ってそれを渇望しているだけなのです。

 

自分が本当に求めているものを理解し、本当に求めていたものを既に持っていたことに気づくこと。

 

これが欠乏動機から生まれる行動を止める方法なのです。

 

 

 

まとめ

ないものを探せばたくさんあるように、あるものもまた、探せばたくさんあるものです。

自分の視点をどちらに向けるかで、自分が欠乏感を感じて生きるか、安心感をもって自己実現していけるかが変わるのです。

 

今までは無意識に欠乏感に動かされてきました。

足りないものを探し求める人生でした。

 

ですが、今のあなたは違います。

自分が欠乏していることも理解しているし、そこからそう生きるのかを選ぶこともできるのです。

 

現状に満足し、本当の望みに向けて歩き出しましょう。

大切なのは、安心感を求めることではなく、高揚感を求めることです。

 

1度しかない自分の人生。

しっかりと自分と向き合って自己実現していけると良いですね。