こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。
アダルトチルドレンを始めとした愛情飢餓感を抱える人間にとって、愛を与えられるというのは非常に大きなテーマになっています。
意識的にか無意識的にか他人からの愛を求め、その欠乏感を軸に行動していくのです。
こうした愛情飢餓感を抱える人間が求めるのは、真実の愛です。
つまりは、全てを、許し、認め、受容し、常に尊重されることを望んでいるのです。
ありのままの自分を、どんな自分でも受け止めて愛してほしいという渇望が常に心の中を渦巻いているので、親から与えられる「無条件の愛」以外の愛では物足りなくなってしまうのです。
ですが、真に他人を愛せる人ばかりではありません。
人それぞれに愛の形は異なり、時にそれはいびつな形をしている場合もあるのです。
真の愛を求めてしまう僕たちは、この歪な愛が溢れている世界でどう生きていくべきなのでしょうか。
今回の記事では、愛のない世界で生きる方法についてお話していきます。
無条件の愛を求めてしまうことを認める
愛情飢餓感を抱えることは非常に辛いものです。
愛情飢餓感とは愛情の欠乏感から生まれるものであり、それは自分が愛されていないという漠然とした孤独感でもあります。
周りに家族も、友人も、恋人も、伴侶もいるのに、なぜか愛されている実感がない。
それは、この愛情飢餓感、愛情に対する欠乏感が原因なのです。
この辛さを克服するには、まずは今自分が無条件の愛を求めていることを認める必要があります。
愛情飢餓感を抱えてしまった僕たちは、小さい頃ありのままの自分を受け入れてもらえずに成長してきました。
女の子らしく、男の子らしくしなさいと社会の規範からはみ出ている自分を否定されたり、お手伝いをしていない時は愛してもらえず、お手伝いをしている時だけ愛してもらえたり。
こういった「条件付けの愛」を与えられていると、心の奥底に自分は愛されない存在なんだという感覚と、それに紐づいて無条件に愛してほしいという渇望が生まれてくるのです。
そこで嫌われないために本来の自分を抑圧し、捻じ曲げ、相手に迎合する形で、相手の気に入るような偽物の自分を作り上げてしまうような生き方を選択するのです。
子どもにとってこんなに残酷で辛いことはないでしょう。
こんな愛のない世界で生きていくのであれば、まずは過去の経験から自分が愛情飢餓感を抱えていることを認めるしかないのです。
こういった過去を経てきているのであれば、ありのままの自分を愛してほしいと感じるのは当たり前のことでしょう。
誰だってありのままの自分を無条件に愛してほしいのです。
だから、自分のその愛情飢餓感をなかったことにせず、自分の一部として大切に認めてあげることが大切なのです。
それでも僕らは愛されている
本来の自分は誰からも愛されないから、人前に晒すことはできない。
でも、そうはいっても本来の自分を愛してほしいと心の奥底で渇望している。
こんな自分の中の葛藤と渇望に気づけたら、自分が本当は愛されていることを知ることです。
僕たちは無条件の愛を求め苦しんでいますが、無条件の愛なんてものは、血の繋がりのない人から得られることはほぼほぼ不可能です。
無条件の愛とは、見返りを求めない愛であり、与えることが喜びの愛と言い換えられます。
例えるなら、赤ちゃんやペットに対して向けられる愛が分かりやすいでしょう。
赤ちゃんやペットというのは、何かを返してくれるわけではありませんが、僕たちは彼らが愛おしく、与えることに喜びを感じるから与えるのです。
ですが、こういった無条件の愛は、よほど精神的に成熟している人でなければ他人には与えられません。
他人との関係は自分に都合がいいかという部分が重要視されるので、無条件に他人を愛することは難しいのです。
僕たちは欠乏感を埋めたい一心で、親にもらえなかった無条件の愛を友人やパートナーに求めてしまいます。
それは親の繋がりの次に自分を愛してくれそうだから。
心理的距離が縮めば縮むほど要求は強まっていってしまいます。
ですが、そもそも無条件の愛を友人やパートナーに求めてしまうことが間違いなのです。
彼らは彼らなりに愛してくれているのです。
彼らだって愛されずに育ってきました。
他人を愛せるほどの余裕はないなりに、それでもあなたのことを好きでいてくれて、彼らなりの愛し方で愛してくれているのです。
その小さな愛を、歪ながらも自分に向けられている愛に気づくことです。
僕たちは無条件に愛されたいが故に、無条件の愛以外は愛していないと、心の奥底で決めつけてしまっているのです。
友人やパートナーだけではなく、あなたのご両親もそうです。
適切な愛し方を知らなかっただけで、彼らなりに愛してきたのです。
あなたは、もう十分に愛されてきていたのです。
肯定的に諦めましょう。
無条件の愛を外側に求めても手に入らない。
それでも、十分に愛されてきた。
彼らなりに自分を愛してくれていた。
これが事実なのです。
自分だけが無条件に自分を愛せる
外側に求めてもこの欠乏感は満たせません。
それは人それぞれ愛する能力が違うからです。
ですが、自分で自分を愛してあげることはできるのです。
愛されてこなかった人は、無意識に自分を否定してしまいます。
それは過去に受け入れてもらえずに傷ついた経験があるためです。
その傷ついた経験から、自分に悪い部分があるから傷ついたんだと間違えた解釈をし、ここまで生きてきたのです。
ですが事実は違います。
あなたが傷ついたのは、周りの人間に愛する能力がないせいです。
あなたは全く悪くないのです。
だから、どんな自分も否定する必要ないのです。
悪いと言われるような自分でいていいのです。
綺麗な自分も、汚い自分も、ありのままを認め、許し、受け入れ、尊重し、そんな自分を大切にしてあげましょう。
汚くても、弱くても、情けなくても、ダメダメでもいいじゃないですか。
それも含めてのあなたなのです。
そんなとこも含めたあなたが素敵なのです。
まとめ
愛情飢餓感は漠然と自分の心に住み着き、心を蝕んでいます。
そんな辛い欠乏感を抱えたまま、僕たちは愛のない世界で生きていかないといけません。
だからこそ、まずは今ある愛に目を向けるのです。
ないと思っていたけど、歪な形をして存在していたのです。
自分では違うと思っていたものも、それは確かに愛だったのです。
でも、やはりこのありのままを受け入れてほしいという愛情飢餓感は心の中で消えることはありません。
だから、自分で自分を愛することが大切なのです。
自分でだったら、どんな自分でも受け入れることが出来ます。
自分のなかで愛を育てることが、この愛のない世界で生きていくために必要なことだと思います。