【脱欠乏感】足りない人生から豊かな人生へ

欠乏感を解消して、なりたい自分に。

アダルトチルドレンが優しい理由

こんにちは、たけうちです。

はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

 

www.takeuchipsychology.com

 

アダルトチルドレン傾向がある人は優しいという評価をされることが多く、良い人として認知されやすいです。

小さい頃からそういった評価をされてきているので、自分に長所を聞かれたら「優しい」と答える人もいるでしょう。

 

もし、その優しさだと思っていたものが優しさではなかったらどうしますか?

もしかしたらそれは優しさではなく、迎合的行動か、要求的行動かもしれません。

 

今回の記事では、アダルトチルドレンの優しさについてお話していきます。

ぜひ最後までご覧ください。

 

 

 

 

アダルトチルドレンの優しさ

アダルトチルドレンは優しく、良い人だねと言われることが多いです。

他人に優しくできるというのは人格的にも素晴らしく、愛のある行動だと言えます。

 

ですが少し考えてみてください。

愛のない環境で育ったが故にアダルトチルドレンとなってしまった人に、果たして愛はあるのでしょうか。

 

100%とは言い切れませんが、高確率で愛を持っていないと言えます。

では、何故アダルトチルドレンは優しいねと、愛ある行動が出来ると言われるのでしょうか。

それは、愛されるために行動するからです。

 

つまりアダルトチルドレンの持つ優しさとは、愛からくる優しさではなく、愛されるための優しさなのです。

 

例えば、誰かが荷物が重くて運べないと困っているとしましょう。

アダルトチルドレンの人たちは、困っていることを解決出来たら相手が喜ぶだろうという純粋な優しさで手伝うことはしません。

純粋な優しさではなく自己愛的な優しさを持つので、手伝わなかったら嫌われるかもしれないという恐怖心や、手伝うことによって相手に好かれたい、認められたい、評価されたいといった期待によって行動します。

 

このとき、愛は自分と相手のどちらに向いているでしょうか。

「自分が」嫌われたくない。

「自分が」好かれたい。

「自分が」評価されたい。

自分がという部分からも分かる通り、愛は自分に向いているのです。

アダルトチルドレンの行動は、愛ある人間を模倣した自己愛的行動にすぎないということです。

 

このように自己愛的に生きている限り欠乏感を感じ続け、苦しみから解放されることはありません。

 

行動の動機を振り返る

あなたがアダルトチルドレンであろうとなかろうと、自分の行動の動機を振り返ることは大切です。

自分が愛情をもって生きているか、自己愛的な愛をもって生きているかは、その動機で判断できるからです。

 

誰かに何かを与える行為をするとき、あなたの動機はどうなっているのでしょうか。

嫌われたくない、好かれたい、認められたいといった欠乏的欲求から行動していないでしょうか。

 

もしもそういった欠乏感を感じていたとしたら、それは自分のための優しさでしかありません。

間違っても、相手のための優しさではないのです。

 

少し耳が痛いですが、敢えて言わせていただきます。

あなたは自分のためにやっているだけで、本当は優しくなんてないのです。

これっぽっちも優しくない、自己愛にまみれた人間なのです。

 

この事実を辛くても受け入れようと思えるかどうかが、あなたがより良い人生を歩めるかどうかの分かれ道になります。

 

本当の優しさとは、相手を思って、相手の幸せを願って与える行為なのです。

だから本当に優しい人は優しさに一貫性があるのです。

どんな人にも優しくできるのは、相手の幸せを願っているからです。

 

自己愛的な優しさには一貫性がありません。

自分の都合で優しくするかどうかが決まるからです。

 

さて、あなたはどちらの優しさで今まで生きてきたでしょうか。

もしかしたら自己愛的な優しさだってことに気づき、自分を責めてしまっているかもしれません。

 

ですが、自分を責めないでください。

その優しさの性質がどうであれ、あなたは良かれと思ってやっていたのです。

あなたなりに善い行いをしていたのです。

 

今日この記事をを読んで、自分の優しさが自己愛的であることに気づいたのです。

大切なのは、自分の自己愛的な優しさをそのままにせず、真の優しさに変えていこうと思えるかどうかです。

間違いを犯すこと自体は問題ではなく、自分が間違いを犯したときに間違いを正していこうと前を向いて歩いていけるかが大切なのです。

 

本当の優しさへ

自己愛的な優しさを振り撒く限り、あなたは欠乏感を感じ続け、受動的な思考に囚われ、不安、不足、不満を感じてしまいます。

それを僕らは不幸と呼んでいるわけですが、その不幸から脱するには、自分が与えられることを求めるのではなく、相手に与えることを求める必要があります。

 

与える行為に喜びを見い出し、他人の幸せを喜べる人になることが、優しい人間になっていくための秘訣なのです。

 

でも、そんなこと言われたって急には出来ないと思うでしょう。

確かに、明日からすべてに人に等しく優しさを振り撒けというのは難しい話です。

 

なのでまずは出来る範囲から、自分が好きと思える人間から与えていくと良いでしょう。

その人が喜ぶであろうことを、見返りを求めず、与えることを目的として与えてくのです。

 

僕は仲のいい友人知人にプレゼントをすることで練習にしていました。

相手が何を貰ったらうれしいかを考え、プレゼントをあげること自体に価値を見い出す。

あげることでその人から好かれようとかは一切考えず、純粋にその人が喜ぶことだけに意識を向けるのです。

 

こういった姿勢が愛のある行動となり、自己愛的ではない本当の優しさに繋がっていくことでしょう。

 

 

 

まとめ

アダルトチルドレンの優しさというのは自己愛的な優しさであり、本当の優しさではありません。

他人を思いやって優しくするのではなく、自分の得のために優しくするのです。

 

そういった自己愛的な生き方は欠乏感を感じることに繋がり、不幸な人生へと向かっていってしまいます。

 

自分の行動の動機をチェックし、その優しさが誰のためであるかを振り返りましょう。

 

もしも自分のために優しくすることが多いようであれば、自分には自己愛性があると受け止め、他人の為を思って優しくできるよう行動していきましょう。

 

相手に与えることを自分の喜びとする、愛ある姿勢が優しさの根幹です。

 

見返りを求めずに生活することで、だんだんと愛のある人間へと成っていくでしょう。