【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

自己受容と罪悪感

こんにちは、たけうちです。

はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

 

www.takeuchipsychology.com

 

自己受容をすることで、初めて人は成長をする機会を得ます。

そのため、自分自身を受け入れるということに大きく力を入れないことには、人生に転機は訪れません。

 

散々僕がこうして自己受容について発信しているので、他の記事もご覧になられている方からすると、その重要性については理解しているかと思いますが、この自己受容が非常に難しいんですよね。

 

分かっていても自分を受け入れられないし、受け入れられたと思ってはいるけど、果たして本当に受け入れられているかが分からない。

 

こんな自己受容の沼に嵌っている人は多いのではないかと思います。

 

そこで今回の記事では、罪悪感という視点から自己受容について考えてみたいと思っていますので、ぜひ最後までご覧ください。

 

 

 

罪悪感抱える現代人

自分を受け入れられない僕たちは、心の底に罪悪感を抱えて生きています。

そんな人が大勢いて、自分のことも他人のことも責め立てる世の中になっているのが、今の日本なのです。

 

罪悪感はどんな意味かと調べてみるとこのように出てきます。

罪をおかした、悪いことをしたと思う気持ち。

dictionary.goo.ne.jp

 

悪い自分というのは受け入れがたいもの。

ですから、今の自分ではいけないという罪の意識が自分を責め立て、否定し、受けれまいと抵抗するので、自分を受け入れることが出来ずに苦しんでしまうのです。

 

ありのままに後ろめたさを感じ、自分を否定し続ける人生が幸せなのかと問えば、それは違うと答える人が大半なのにも関わらず、人は自分に罪を感じることをやめることができません。

 

どうしてそこまでわかっていても自分に罪悪感を感じ、後ろめたく思ってしまうのでしょうか。

そこには、他人軸な自己評価が関わっているのです。

 

世界が自分を許してくれない

なぜ自分を受け入れられないのかというと、世界が自分を許してくれないという認識を持っているからです。

インターネットが広がり、それと共に僕たちの世界は拡張されました。

今までは実際に出会う人々、テレビや本などの情報メディアが自分の世界であったのに、インターネットの広がりによって世界中の人々と繋がれるようになったのです。

 

この広がりは生活を彩る一方で、僕たちに悪影響を与えるようにもなりました。

それがネガティブな価値観の氾濫です。

 

僕たちの殆どは他人を愛することが出来ません。

それゆえに非受容的で、その歪んだ価値観に従って他者を否定したり、攻撃したりと、インターネットを通じた他者への否認がありとあらゆるところで生まれているのです。

SNSYoutubeのコメント欄を見れば、いかに歪んだ愛で日本が染まっているかが分かるかと思います。

 

そしてそういった心無い他者否認は、まるでそれが世界の常識であるかのように目に映ります。

なので他人軸で生きている人などにしてみると、世界が自分を否定しているかのように感じるのです。

 

それはまるで自分の存在が罪であるかのような、後ろめたさを感じるもので、僕自身過去に相当苦しみました。

 

「年収~円以下はダメだ」

「底辺職業は生きている価値がない」

 

こういった欠乏感を煽るような言葉に呪われ、他人軸で生きていた僕は自分を認めることが出来なくなっていったのです。

 

自分が自分を許していない

世界が自分を許してくれないから、他者評価で生きている自分は、自分で自分を許すことが出来ない。

こんな地獄の中でずっと生きていました。

 

そして、自分と向き合い始めて自分を受け入れようと努めたときも、この感覚は拭うことができませんでした。

自分自身は受け入れたいのに、結局世界が受け入れてくれないのであれば、それは自分に価値がないことには変わりないという感覚が、自分を蝕み続けていたのです。

 

世界の許可なしには、自分で自分を認めることが出来ない。

この絶望的な価値観を変えるにはどうしたらいいのでしょうか。

 

この問題を解決するには、他人軸から自分軸に変わる必要があるのです。

それは、依存的態度から自立的態度に変えると言ってもいいでしょう。

 

他者の価値観によって自分の価値を見い出す人生から、自分の価値によって自分の価値を見い出す人生に変えていくのです。

 

世界が認めてくれないと自分を認められないと言っているのは他でもない自分です。

それは結局のところ、自分が自分を許していないのと同じなのです。

 

恥じることはない

あなたがあなたを恥じる必要はありません。

ダメな部分に罪悪感を感じる必要も、後ろめたさを感じる必要もないのです。

 

世界は他人を否定する人たちで溢れていて、その人たちの声が自分に届くから、なんだか自分に価値がないように思えるかもしれませんが、それは「愛する能力のない、他人を否定することでしか自分の幼児的欲求を満たせない人たち」の意見なのです。

 

それに耳を傾ける必要があるのでしょうか。

そんな人たちの意見が、最重要な意見なのでしょうか。

 

そんな人たちから愛されること、認められることを諦めることです。

心無い発言をするような人からも愛されよう、認められようとするから、完璧でない自分を否定し、罪悪感を感じるのです。

 

自分を愛してくれないような人が自分の人生に必要なのか、考えてみてください。

その人たちの愛、承認がなければ生きていけないのでしょうか。

別に彼らの存在はなくても、あなたは生きていけるのです。

 

彼らへの執着を捨て、ダメな自分を愛してくれる人を大切にすることです。

 

そしてなにより、他人軸で生きることをやめ、自分軸で生きるのです。

他人に認めてもらおうとするのではなく、自分で自分を認めてあげるのです。

 

別にそれでもいいじゃないかと、ダメな自分でいることを許可してあげる。

それが自己受容なのです。

 

世界が許さないのは仕方ない。

そういう人たちもいます。

 

でも、そういう人たちと自分は違うのです。

言わせておけばいいのです。

世界がなんと言おうと、あなたが自分を許してあげればいいのです。

 

どれだけ多くの人がコーヒーは苦くてまずいと言ったとしても、自分はコーヒーの苦みを美味しいと思うことは変わることのない事実です。

みんながコーヒーの苦みがまずいと言うから、自分もコーヒーはまずいと思うなんて言う人はいないでしょう。

 

自分がどう思うかなのです。

確かに否定的に思われる要素を抱えているかもしれません。

でも、その要素をあなたがどう思うかは、世間とは全く関係ないのです。

 

だったら、自分くらい肯定してあげてもいいんじゃないでしょうか。

後ろめたく感じる必要があるのか、今一度考えてみてもいいのではないかなと思います。

 

 

 

まとめ

インターネットの発展の影響もあり、僕たちはネガティブな価値観に触れる機会が圧倒的に多くなりました。

 

自分の意見がない、他人軸的な生きかたをしてきた人にとって、それは自分の存在が罪であると言われるようなものなのです。

 

それは非常に苦しく、その苦しみから逃れるには他者から肯定されるしかありません。

でも、そんな自分を肯定してくれる人はいない。

 

そこでずっと自分を受け入れることが出来ず、長い間後ろめたさを感じながら生きてきたことでしょう。

 

世界がどれだけあなたのことを否定したとしても、その意見に屈する必要はありません。

罪の意識を覚え、自分を責め立てる必要はないのです。

 

ダメな部分があってもいいのです。

なぜなら、それが人として正しいから。

 

人は不完全であることが完全なのです。

 

そんな不完全さに罪悪感を感じることは、あなたが人間として存在していること自体を否定していることと同義と言ってもいいでしょう。

 

自分の不完全さを認め、許し、受け入れる。

その先に、罪悪感から解放された世界が広がっているのです。

 

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