【脱不幸論】自分の幸せが見つかるブログ

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

忙しさはどうして生まれるのか

こんにちは、たけうちです。

はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

 

www.takeuchipsychology.com

 

忙しい。

やるべきことに追われ、忙しさを感じる毎日に消耗している人も多い現代。

 

忙しさと向き合うことは、人生の質を上げていくという観点において、非常に重要な要素を持ちます。

 

そこでふと、忙しさというものを考えてみると、忙しく感じるときと忙しく感じないときがあることに気が付きました。

どちらも何かをしているということは変わらないのに、何故だか忙しく感じてしまうと気があるのです。

 

この違いは何なのでしょうか。

もしこの違いを理解できれば、自分がどうして忙しく感じているのかを理解できるのではないかと思うのです。

 

そこで今回の記事では、どうして忙しさは生まれるのかをテーマにお話していこうと思います。

ぜひ最後までご覧ください。

 

 

 

忙しさとは

そもそも忙しさとは何なのでしょうか。

感覚を言語化すると、何かに追われているようなイメージで、窮屈な感じをイメージするのですが、みなさんはどうでしょうか。

 

意味を検索してみると、このように書かれています。

せかせかして落ち着かない。せわしない。

dictionary.goo.ne.jp

 

せかせかして落ち着かない。

なるほどと思うような表現です。

 

僕たちは忙しいというとき、落ち着かないような感覚になっているんです。

ここを理解したところで、具体的な話に移っていきましょう。

 

忙しいときと忙しくないときの違い

何かをしているという時間は同じでも、忙しいと感じるときと忙しいと感じないときがあります。

この違いはなんなのでしょうか。

 

例えば、僕はゲームなどの好きなことをしているとき、ゲーム内でやるべきタスクが溜まっていたとしても、忙しいと感じることはありません。

もちろん、このブログを書いているときなども同じで、どれだけやりたいことが溜まっていたとしても忙しいと感じることはないんです。

 

しかし、同量のやるべきことを保有している家事や会社での仕事などは、比較的忙しさを感じます。

 

最初は時間の制限によって生まれているのかと思いましたが、特に締め切りが迫っているわけではなくても忙しさを感じているため、時間はあまり関係ないのだと気づきました。

 

では、何が忙しさを生んでいるのか。

それには、忙しいという漢字にヒントが隠されていました。

 

我々は心を亡くしている

忙しいという感じは、心を亡くすと書きます。

心を亡くしている状態が、忙しいというわけです。

 

僕たちは、思考の自分と感情の自分という二人の自分を抱えて生きています。

~するべきだという規範意識で行動する思考の自分と、~したいという欲求で行動する感情の自分。

この二人の自分の内、思考の自分に自分のコントロール権を掌握されると、人は忙しさを感じるようになるのです。

 

仕事や家事といった、やりたくないけどやらないといけないことというのは、~すべきという思考のもとに行動をしています。

そこに心は亡く、あるのは思考のみなのです。

 

だから忙しい。

心が向いている方向に進んでいないから、そこに心が亡いから忙しく感じて当たり前なのです。

 

逆に、好きなことをしている時は、どれだけやることを詰め込んだとしても忙しくは感じない。

それは心が生きているから。

心の声に従って、自分の喜びに向かって生きているからです。

 

心を大切にしましょう。

自分の心の声をしっかりと聞き、思考ではなく感情を優先していくのです。

 

 

 

まとめ

忙しいと感じるのは、やりたいことではなくやるべきことをしているからです。

やるべきことを人生に詰め込めば忙しくなるし、やりたいことを人生に詰め込めば充実感を得られます。

 

もしも、自分が忙しいと感じている日々を送っているのだとしたら、自分が心の声を無視しているということです。

自分の心は何を望んでいるのかに意識を向け、忙しさから卒業しましょう。

 

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