【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

人生に正解はあるのか

こんにちは、たけうちです。

 

割と大きな人生の選択を迫られることがあるかと思います。

どちらを選ぶのが正解なのか、どちらなら失敗しないのかと頭の中を思考がグルグルしてしまったりで、いい気分で生活することは難しいですよね。

 

そんな正解難民の方に向けて、人生の正解について考えてみたいと思います。

 

 

 

さて、つい僕たちは正解を渇望してしまいますが、そもそも人生における正解とはなんなのでしょう。

 

結論から申し上げますと、人生に正解などありません。

どんな選択をしたとしても、それは正解にもなるし不正解にもなるのです。

例えばダイエットをしてる人がご飯を食べるか悩んだとして食べたとします。

思う存分食べたことで心を満たせることもあるし、食べた罪悪感に苛まれることもあるでしょう。

つまりは、その選択自体には正解も不正解もないのです。

選択の結果に正解、不正解と意味づけをしているだけにすぎないということです。

 

では、どうしたらその選択は正解となるのでしょう。

 

それは、自分が正解だと思えたら正解なのです。

とてもシンプルですが、結局はそこなんですね。

 

物事の選択自体ではなく、その選択した結果に対して自分が満足出来たら正解だし、満足出来なければ不正解なのです。

 

だからこそ、僕たちは自分が自分の選択に満足できるようにならなければいけません。

そのためには、まずは本音に従った選択をすることです。

周りの意見だとか、他人の目を気にしたりとか、自分には無理だからとか、そうやって自分を抑圧した結果の選択は、自分の意思に反しているのだから満足はできませんよね。

だから、必ず本音ベースの選択をすることが大切です。

 

そして、選択したからには自分の選択に責任を持ち、精一杯生きることです。

自分の選択した道で自分が満足できる結果を生み出せるよう、いい加減に生きるのではなくやり切ることが大切です。

 

結局は正解不正解なんてのは主観的な問題です。

周りから不幸そうに見えても、自分が満足していたらそれは正解の選択をしたということになるんです。

 

だからもし大きな選択を迫られていて、どっちが正解か悩んでいるのだとしたら、自分の心が弾む方を選んで、あとは悔いの残らないように生きるだけです。

 

結局自分の生き方の問題ってだけで、それによって正解にも不正解にもなるということを覚えておくのは大切かなと思います。

 

 

 

ちなみに僕は今、まあまあ大きな選択を迫られている最中です。

どっちが正解なのか結構悩んだりしてましたが、やはりこの視点を得たことで、一気に心の中の不安を払拭することができました。

 

俺が正解にするから好きな方選ぼう。

どうせ正解になるんだから大丈夫。

どう足掻いても正解にしかならない。

 

こういった、一種のお気楽思考が自分を救うことになったりします。

もしも選択を迫られて正解かどうか悩んだら、一歩引いて客観的に物事を見て、自分が正解になるよう動くんだという意思を持って選択してみてください。