【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

選択に伴う不安との向き合い方

こんにちは、たけうちです。

 

生きているとたくさんの選択があって、その選択を選んでいくことで人生というものは完成していきます。

選択の集合体こそが人生ですよね。

 

もちろん選択と言っても、今日の晩御飯を何にしようかなんていう小さな選択肢から、自分の職業を選ぶなんていう大きな選択肢まで、色々な規模の選択を迫られるわけです。

 

特に大きな選択を迫られたときに、本当に大丈夫だろうかなんていう不安を抱えてしまい、悩んでしまうなんて人も多いでしょう。

 

今回はそんな、選択に伴う不安との向き合い方について考えてみたいと思います。

 

 

 

やはり大きな選択というのは慎重になりますし、失敗したくないと言う思いから中々選べない人が多いと思うのですが、それで悩み続けているのは非常にストレスとなりますし、悩んでいたところで答えは出ないですよね。

 

それは未来のことですから答えは出なくて当たり前なのです。

だから、まずは未来について悩むということが非生産的であるということを理解したいところです。

どれぐらい非生産的かというと、出口のない迷路ををぐるぐると歩き回って迷子になっている

くらい非生産的なのです。

 

なんでそんな非生産的なことをしてしまうのかといえば、選択した結果を恐れてしまって、その結果を享受する覚悟がないからです。

 

つまり、自分の選択に責任を持てていないということで、その選択と結果を含めて自分は受け入れるという態度になれていないと言えます。

 

大切なのは、自分は全てを受け入れると覚悟をすることです。

どんな結果になろうと、成功しようが失敗しようが関係なく、自分はその選択の人生を生きると決断することが大事なのだと思います。

 

やはり失敗を受け入れたくないという気持ちから、こういった不安を抱えてしまうと思うのですが、失敗しても良いと思えることが大切です。

 

失敗したと感じたとして、またそこから別プランに転換していけばいいのです。

なぜ自分が失敗しないで生きていけると思ってるのでしょう。

歴史上の偉人も失敗を重ねて成功へと辿り着いているのです。

成功はたくさんの失敗が積み重なり成功になっているのです。

 

転んだらもう人生は終わりなんでしょうか?

膝に擦り傷が出来てしまったら、もう人生は終わりなのでしょうか?

 

違いますよね。

擦り傷はいつしか治ります。

歩き方が悪くて転んでしまったのなら、次はもっと別の歩き方をすれば良いだけの話です。

 

転んでもまた立ち上がれば良いと、果敢に歩みを進めることが人生を生きるということなのではないでしょうか。

 

なんだったら、失敗することも織り込み済みで選択しても良いかもしれません。

まあダメだったらダメだったでこうしたら良いやと、この選択が終点ではなく、中継点であるという意識を強く持つことで、不安は薄れるように感じます。

 

 

 

とにかく、失敗した結果も甘んじて受け入れる。

そこから立ち直れば良いだけだから、別に恐れることはない。

 

この意識を持つことが、大きな選択における大切なスタンスだと思います。

自分が望む結果を選択するためにも、不安に負けることなく生きていきましょう。