【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

あるべき幸せの形とは

こんにちは、たけうちです。

 

幸せの形は人それぞれ違いますよね。

お金を得ることが幸せの場合もありますし、誰かに愛されることが幸せな場合もあります。

 

そんな様々な幸せがある訳ですが、幸せになれる幸せと、幸せになれない幸せがあるのはご存知でしょうか?

ちょっとややこしい言い回しですね笑

 

なので今回の記事では、どういった幸せが望ましいのかを考えていきたいと思います。

 

 

 

さて、結論から言わせていただくと、望ましい幸せというのは「欠乏感からこない幸せ」が幸せになる上では大切なのです。

なので逆説的に「欠乏感からくる幸せ」を幸せの基準に設定してしまうと、結局は幸せになれずに終わってしまいます。

 

どうして欠乏感からくる幸せは望ましくないのかと言えば、一時は満たされたとしても、より多くを求めてしまったり、それを失う恐怖に襲われてしまったりするからなんです。

 

では、欠乏感からくる幸せとはなんなのでしょうか。

これは、お金、恋人、結婚、愛情、仕事、地位 、この辺りが多いのではないかと思います。

 

それがないと不安、不満、不足を感じるからそれを満たしたい、それを満たしたら幸せになれると思ってしまうんですね。

 

お金を得ること自体に満たされるのではなく、お金を得て「安心すること」に満たされている。

恋人を得ること自体に満たされるのではなく、恋人を得て「安心すること」に満たされている。

 

欠乏感からくる幸せというのは、安心したいという気持ちが裏側に隠れていて、その安心感を得ようと必死になるのです。

 

だから、お金を得ても必要以上のお金を欲してしまって心が満たされなかったり、恋人を得てもそれを失う恐怖に呑まれてしまい、心が満たされなかったりするというわけです。

 

では、欠乏感からくる幸せを待ってしまっていたらどうしたら良いのでしょう。

望ましい幸せとはなんなのでしょう。

 

まず、欠乏感からくる幸せを持っていることに気づいたら、自分は不安に感じていたのだと分かってあげることです。

 

そこまで不安になってしまう原因が何かあったのかもしれません。

そういった過去の傷や思い込みと向き合うことも大切です。

 

そして、望ましい幸せを新しく設定してあげましょう。

 

欠乏感からくる幸せは-1→0にするための渇望です。

そうではなく、0→1にする願望を設定してあげるのです。

 

それは別になくても良いけど、あったらすごく心が満たされるというものですよね。

それに対して執着することなく、それ自体に満足できるモノ。

 

僕で言えば、映画や旅行、このブログなんかもそうです。

趣味なんかは大体当てはまると思いますが、自分が純粋に好きでやれるモノこそが、自分の幸せとして望ましいモノだと思います。

 

 

 

欠乏感は誰しもが持っています。

問題は、その欠乏感に振り回されて苦しんでしまうのとなのです。

それを満たしたところで、今度はそれに執着してしまい、沼にハマっていってしまうことが多いと思います。

 

自分が何に欠乏感を感じたいのかをしっかりと理解しましょう。

自分の幸せの先に安心感を求めていたら、それは欠乏感がある証拠です。

 

そうやってしっかりと自分と向き合っていけば、心が満たされる瞬間は多くなっていきますので、ゆっくりでいいので向き合ってみてくださいね。