【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

好かれようとしても幸せにはなれない

こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

 

www.takeuchipsychology.com

 

対人関係において、誰かに好かれているというのは非常に重要なことです。

特に自分の価値を感じられない人は、他者からの肯定を求めるので好かれたいという気持ちが大きくなります。

 

ですが、人に好かれようとして努力をしても幸せにはなれません。

人に好かれていることを幸福と結びつけることは、逆に不幸へと向かっていってしまうのです。

 

なぜ好かれようとすることは不幸であるのでしょうか。

好かれようとすることがダメなのであれば、どう生きることが幸せに繋がるのでしょうか。

 

今回の記事では、好かれようとすることをテーマにお話ししていきます。

最後までぜひご覧ください。

 

 

 

好かれようとしない

僕たちは可能であれば他人に好かれたいと思っています。

それは、他人に好かれていることは幸せであるからです。

 

冒頭でも書きましたが、自分の価値を感じられない人や愛情飢餓感の強い人というのは、他人に好かれたいと強く感じています。

無自覚であったとしても、心の奥底では他人からの好意を渇望しているのです。

 

それは自分は好かれるに値すると思いたいし、そう思って安心したいからです。

 

気持ちは分かりますが、ここで好かれよう思ってはいけません。

他人に好かれようとする行為は、欠乏感からくるものだからです。

 

誰にも愛されていない。

誰にも必要とされていない。

誰にも認められていない。

 

こういった心に抱えた欠乏感が、あなたに好かれたいという衝動を与えるのです。

ですが、欠乏感というものは満たしても満たしてもより多くを求めてしまい、満たされることはありません。

 

また、自分が好かれていると信じていない限り、実際に好かれていたとしても、その好意を信用できずにあるはずの好意を探し求めてしまいます。

 

このようにして欠乏感を満たそうとし続ける人生が幸せでしょうか。

あれもない、これもないと飢え続ける人生が幸せなのでしょうか。

 

きっとこれを幸せと答えられる人は少ないと思いますし、実際にこれを幸せとは言えないでしょう。

 

だから、好かれようとしてはいけないのです。

好かれようとすることは、ゴールのない迷路に足を踏み入れることと同じなのです。

暗くて広い深海から、一つの光り輝く金貨を探し求めることと同じくらい、無謀なことなのです。

 

全員に好かれることは不可能である

また、好かれたいと願ったとしても、全ての人に好かれることは不可能です。

 

それはあなたに問題があるからではなく、他人には愛する能力が備わっていないことが多いからです。

 

誰かを好きになる、愛するということは、他人の弱さを認め、許すということです。

あなたに弱点があったとして、それを受け入れられるかどうかは相手の精神的成熟度合いによるので、あなたの力で好かれることは不可能なのです。

 

ここで勘違いしてしまいがちなのですが、あなたに弱点があることが悪いのではありません。

弱点は誰しもが持っているものです。

 

好かれるかどうかは、そういった他人の弱点を許せず、受け入れられない未熟さを持っている相手側の課題なのです。

 

そして世の中の殆どの人がこの課題を抱えている。

他人も自分も許せない世界を生きている。

 

だから、全員から好かれるのは元々無理なのです。

どれだけ優れていようが、魅力的であろうが、人を愛せない人の前では愛されないのです。

 

愛することに価値を見い出す

僕たちは好かれようとしてはいけません。

それは自分の欠乏感を強く感じ、雲を掴むような要求を他人にしてしまうからです。

 

手に入らないものを欲しいと願っても、心が傷つくだけです。

 

だから好かれるのではなく、愛することに価値を見い出すことが大切なのです。

誰かを愛していれば、自ずと好かれるようになるからです。

 

自分の欠乏感に目を向けるのではなく、自分に足りないものに目を向けるのではなく、自分が与えることに喜びを見い出しましょう。

 

自分に向いている愛のベクトルを、相手に向けるだけでいいのです。

愛されるか愛するかの違いではありますが、どちらも喜びとして感じることが出来るのです。

 

好かれるかどうかは自分ではコントロールできません。

ですが、誰かを愛することは自分でコントロールすることが出来ます。

 

自分でコントロールできないことに価値を置き続ける限り、他人に振り回される生活を送ることになってしまいます。

だからこそ、自分でコントロールできる「愛すること」に価値を置くことが大切なのです。

 

 

 

まとめ

好かれようとすることは、自分の欠乏感に目を向けることになります。

欠乏感に目を向ける限り、いつまで経っても幸せにはなれません。

 

また、全ての人に好かれようとしてしまうのは、まるで雲を掴もうとしているかのようなもので、現実的ではありません。

人が好いていくれるかどうかは、あなたの魅力次第ではなく、相手の精神性の成熟度に依存するからです。

 

大切なのは、足りないものを求めるのではなく、自分が与える姿勢を持つことです。

つまり、人を愛することに価値を見い出すことが大切なのです。

 

あなたのその好かれたいと願っているエネルギーを、そのまま相手に向けるのです。

相手が喜ぶにはどうしたらいいかを考え、相手に与えることに価値を感じるのです。

 

そうして愛されることから愛することに自分の価値を変えていくことで、自分の価値を自分で満たせる生き方に変えることができるでしょう。