こんにちは、たけうちです。
我慢を要求されたり、相手に迎合したりと、僕たちはしばしば「大人として」の対応を
求められます。
大人なんだからという一言で、常識やルールに従うように言われたりもしますが、果たして大人とはなんなのでしょうか。
どうしたら大人になったと言えるのでしょうか。
今回の記事では、大人になるとはどういうことか考えていきたいと思います。
前提として、今回の題材になっているのは「精神的に大人」な人という意味です。
年齢的に、肉体的に大人ということではありませんのでご了承ください。
さて、一般的に言われる大人としての振舞いとはどういうものでしょう。
例えば、上司には反論しないとか、我慢してサービス残業をするとか、冠婚葬祭は行きたくなくても付き合いだから行くとか、そういった「常識やルール」といったものを遵守している人が大人とされる傾向にあるかと思います。
確かに偉いと言われるような行為ですし、大人だなと感じる人もいるでしょう。
ですが、これが本当に大人なのかと僕は疑問に思うわけです。
精神的に成熟した大人は、自立性があり、自己の価値観をもって物事を判断します。
自分軸で生きているともいえるでしょう。
ですが、世間一般に大人と言われている「規範意識の高い人間」は、自立性というよりは周囲に対する依存性が高く、また自分の価値観が定まっていないため、他人軸で物事を決めやすいのです。
規範意識の高い人間というのはなにかと褒められがちです。
和を乱すこともなく、他人を不快にすることもなく、わがままも言わないので、大人な人間として扱われやすいのです。
なので、つい規範意識が高い人こそが大人であると認識してしまうのです。
そうやって勘違いをしてしまった人が、規範意識を強め、自分を押し殺しながらもよく分からない常識やルールに従っていくのです。
それがあるべき姿だと思っているから。
ですが、規範意識で他人に迎合するというのは成熟した精神とは程遠い行為です。
これは自立性とは反対の依存性から来ています。
なぜ常識やルールに従うのでしょう。
みんながそうしてるから。そういうものだから。
きっとこういった感覚で従っている人が多いのではないかと思います。
そして、なぜそんなふんわりとした理由で従っているのかといえば、みんなと違うことをして、他人に嫌われるのが怖いからです。
他人の好意に依存しているから、嫌われるのが怖くなって、相手に迎合してしまうというメカニズムなんです。
こういった依存性のある精神ではなく、自立した精神をもつ人こそが、成熟した精神を持つ人であり、大人なのです。
成熟した人間は物事を判断するとき、自分の意見を軸にします。
世間の常識やルールといった他人の意見ではありません。
あくまで自分がどう思うかに重きを置いているのです。
自分の中だけで完結しているので、誰かに迎合することもしません。
成熟した精神をもつ人間が常識やルールを守っているのは、規範意識から形式的に守っているのではなく、自分の価値観を優先したらたまたま常識やルールを守っていたという場合が多いです。
形だけ真似て常識やルールを守る人間と、愛や思いやりで行動した結果常識やルールを守っていた人間、どちらが成熟しているでしょうか。
誰の目から見ても後者だと思います。
そもそもですが、別に常識やルールを守る必要はありません。
確かに守れば他人に不快な思いをさせなくて済みますが、あなたが相手を思いやれず、常識やルールを守ることにストレスを感じるのであれば、守らない方がいいのです。
自分の中に自分の価値観をしっかりと持ちましょう。
別にどういった形が正解とかはありません。
あなたが、こう思ったら、これが正解なのです。
そうやって自分を作り上げていくと、様々な場面で常識やルールではなく、自分の価値観で物事を判断できるようになります。
そうなったとき、初めて精神的に成熟したと言えるでしょう。
大人になるということは、自立性を獲得するということ。
これを意識して、自分の価値判断に目を向けてみてくださいね。