こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。
ある要素を判断軸としてその中で比較をし、その最下層にいる人を「底辺」と呼びます。
今は主に社会的地位を判断軸としたときにその最下層に所属する人たちを底辺と呼んでいる風潮がありますが、改めて考えるとひどい言い方だなと感じます。
僕も10年間フリーターをしていた過去があり、いわば底辺のプロフェッショナルだったわけですが、今現在はその過去を断ち切り、一歩ずつ前へ進んでいっているところです。
僕自身、口では「このままでもいい」なんてことも言っていましたが、心の奥底では
底辺でいることを気にしていましたし、行動したいとも思っていました。
ですが、心の問題も大きく、そこから頑張ることはすごく難しかったのです。
ですが、頑張れずに底辺で漂うように生きていた僕が、いまこうして前を向いて歩こうとしているわけです。
だから僕は、あなたにも前へ進める力があるんだということを伝えたいと思っています。
今回の記事では、底辺と呼ばれるポジションに陥ってしまった人に向けて、底辺人生仲間としてメッセージを伝えられたらなと思っています。
ぜひ最後までご覧ください。
好きで底辺にいるわけじゃない
僕たちは底辺として生活しているとき、好き好んで底辺として生きている訳ではありません。
どんな過去があったにせよ、僕たちは流されるように底辺となり、その底辺から這い上がるエネルギーがないからこうして底辺を続けている。
そういった人が多いのではないのでしょうか。
自分だって本当は頑張りたいけど頑張れないから、ダメな奴を演じて、諦めたフリをして生きているんです。
僕自身もそうでした。
なんとなくフリーターでいることに罪悪感のようなものを感じて、他人に責められているような気がして、そんな自分と向き合えなくて、いつまでも問題を先延ばしにしている人生だったのです。
向き合わなければならない問題と向き合わないから、問題がいつまでも解決されず、苦しみがずっと続いていたのでした。
ダメな自分を許す
落ちるところまで落ちてそこから再スタートを切れない人、這い上がる気力がない人というのは、落ちた自分が許せていません。
フリーターなりニートなり、底辺と呼ばれる地位に落ちた自分を認められないから、そこで足が止まってしまうのです。
まず底辺人生を送っている人がすべきことは、ダメな自分を許すことです。
ダメな自分で生きることを決意することです。
いいじゃないですか底辺で。
なんでダメであってはいけないんでしょう。
ダメであることが悪いことだと決めつけてはいませんか?
ダメであることは事実かもしれませんが、ダメであることが悪いことであるというのは認知の歪みなのです。
例えば勉強が出来る人は良くて、勉強が出来ない人は悪いことであるという考え方は、小学生のころから当たり前に刷り込まれてきましたが、どうして勉強が出来ないことが悪いことなのかを説明できますか?
人より劣っているからでしょうか。
馬鹿だからでしょうか。
いい学校へ行けないからでしょうか。
何かしら理由が出てくると思いますが、それをさらに何故で深堀りしてみてください。
劣っていること、馬鹿なこと、いい学校へ行けないことが悪いことなのは何故なのでしょうか。
こうして深堀をし続けていくと、論理的に説明できないことに気づくはずです。
どう頑張ってもしっくりくる悪い理由は用意できない。
それは、ダメであることが悪いことではないからです。
なんとなくそう思っていただけで、本質的には悪いことではないのです。
決めつけているのは主観である自分であって、自分という視点ではなく現象という視点でいけば、あなたが底辺でいるだけであり、そこに良いも悪いもないのです。
だからわざわざ底辺である自分を否定する必要もないし、底辺の自分から逃げる必要もないのです。
別に誰もあなたのことを馬鹿になんてしていません。
あなた自身が自分自身を馬鹿にしているから、他人もそう思っているんじゃないかと怯えてしまうのです。
自分の首を絞めているのは自分であることに気づき、その首に回している手を離しましょう。
自分を痛めつけることをやめるのです。
底辺なりに生きていく
底辺は底辺なんです。
それは今すぐには変えられない事実です。
でも、自分が底辺に落ちたという事実を受け入れて、認める。
自分が男であることを堂々と言えるように、自分が底辺であることを堂々と言えるように受け入れていくのです。
自分を受け入れているということは、他人に自分がそうであることを伝えるときに、何の葛藤もないということです。
当たり前であるという認識で生きることです。
でもそれは人生を諦めるということではありません。
人生を肯定的に諦めるのです。
なってしまったものはしょうがない。
だったらここからどう這い上がっていこうかと前向きに諦めるということが、肯定的に諦めるということです。
底辺として生きるんです。
夢見たキラキラした人生は現実的には厳しいかもしれません。
そういったものへの執着を捨て、今の自分が到達できる未来を目指すのです。
今の自分を受け入れるから、現実的に生きることが出来るのです。
底辺の自分、底辺を恥ずかしいと感じる自分、そういった自分を全て受け入れましょう。
そう感じてもいいし、そう感じるのも当たり前だよなと、自分の心に抗うのをやめて素直に認めるのです。
僕は今、底辺なりに生きています。
底辺期間が長かったので、社会的な成功を求めたりだとかはしていません。
10年のブランクを生んだ責任も全部背負って生きていくのです。
でも、希望を失っている訳ではないのです。
そんな自分でもやれることを見つけて、社会に貢献するために精いっぱい残りの人生を使おうと思っています。
それがこういった心の問題を取り扱う仕事だったり、福祉関係の仕事だったりとするわけなのですが、成功はしてなくても充実した毎日を送れています。
それは前へ進んでいるからです。
底辺とは、落ちた場所での停滞のことです。
そこから這い上がろうとせず、諦めて停滞するから底辺になるのです。
でも前を向いて歩き始めれば、成功はしてなくても不幸は感じません。
自分の幸せのために頑張れているのですから、辛くはないのです。
歩みを止めないこと。
これが僕たちの幸せに大きくかかわっているのです。
まとめ
僕は特別な人間ではありません。
だからこそ言えるのです。
僕が前を向いて歩き出せたのだから、あなたも必ず歩き出せるんだと。
行動することが怖いかもしれません。
ダメな自分を感じることが怖くて、前に進むことから逃げている自分がいるかもしれません。
まずはそういった自分がいることを認めるのです。
そのうえで、ダメである自分を認めていきましょう。
「あなたはダメではありません。あなたは完璧なのです」なんて言葉も見ます。
確かに不完全であることが完璧な人間なので、ダメであることも含めてあなたは完璧です。
ですが、要素を切り取ってみれば自分がダメであることもこれまた事実であり、それは逃れられない現実なのかなとも思います。
変に誤魔化すのではなく、自分がダメであることをしっかりと受け止めて、そのうえでダメであることは悪いことではないのだと認識を変えていくこと。
価値観をアップデートしていくこと。
これがあなたが人生を目に進めていくために必要なことなのかなと思っています。
大丈夫です。
あなたが這い上がりたいと少しでも思っているなら、行動を起こしていけば必ず這い上がれます。
だって僕ですら這い上がれたんです。
自分には無理だなんて思わないでください。
すごい嫌だとは思いますが、自分と向き合いましょう。
見たくない自分と対面しましょう。
ダメダメでどうしようもない自分と生きましょう。
残りの人生、何もせずに生きるより生きたいように生きた方が良いというのは、自分でもわかっていると思います。
もしも自分ひとりでは向き合いきれないのであれば、僕がお力を貸します。
みんなが自己実現的に幸せに生きる世界が、僕が思い描く理想の世界です。
一緒に頑張っていきましょう。
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一緒に人生をより良くしていきましょう。