こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。
あなたは誰のために生きていますか?
大切な人のためや自分のためと、人それぞれにいろんな形が存在していると思います。
しかし、いろんな形はあれど、人のために生きることは自分をすり減らすことになり、抑圧や迎合に繋がっていく可能性が高いのです。
だからこそ僕たちは自分のために生きなければいけません。
ではどうして、人のために生きることは美徳とされているのでしょうか。
今回の記事では、誰のために生きるのかをテーマにお話ししていこうと思います。
人のために生きると不幸になる
人のために生きるという生き方は自己犠牲の上に成り立っていると僕たちは考えます。
相手に与えるという感覚がない人にとって、そういった生き方は損な生き方でしかないのです。
でも、人のために生きるという生き方が良いとされている世の中では、そう生きなければならないような気がしてくる。
明言されてはいないけど、社会的規範のようなものが暗黙の了解として存在していて、無意識に守ろうとしてしまう。
そういった「あるべき姿の自分」と「実際の自分」のズレが自分を苦しめているのです。
なぜこういった苦しみが生まれるのかと言えば、本心とは違う生き方を採用してしまっているからです。
誰かのために生きることは美徳とされていますが、それは本心から誰かのために生きることが美徳なのであり、形だけを取り繕っただけでは、それを美徳的な生き方とは言えないのです。
なので僕たちがすべきことはたった1つ。自分のために生きることなのです。
自分のために生きると幸せになる
暗黙の了解のようなあるべき姿を演じようとして、実際の自分とのズレで起こるストレスに苦しむのであれば、最初から人のために生きるべきではないのです。
あなたが無理をして、自分を捻じ曲げてまで生きる必要はないのです。
こうして、自分の本心と自分の生き方がリンクしている状態が幸せなのであり、それを追求するように生きることが大切なのです。
ですが、自分を常に優先して生きていたら人間関係が上手くいかないと思うし、そんなこと言ったら世の中は殺伐としてしまう気がしますよね。
それに、そしたらどうして世の中には他人のために生きることが美徳とされているのかが疑問だと思います。
これらの疑問を解決するのが、愛という存在です。
愛をもって生きる
自分のために生きていくと他人と上手くいかないのも、人のために生きることが美徳とされているのも、愛があれば問題ないのです。
世の中には人のために生きることにストレスを感じていない方もいますよね。
大儀ある非営利組織の方などは尊敬できる人々です。
彼らがどうして人のために生きることが出来ているかというと、彼らは人のために生きていないからです。
そんな大儀あることをしてるのに?と思いますが、彼らは自分の与える喜びのために生きているのです。
僕たちから見たら人のために生きているように見えても、実際彼らは自分の喜びのために生きているのでそういった活動を長く続けられるのです。
どうして僕たちは人生を偽らないといけないのか、社会的規範に従うようにして本心とは違う行動をとらなければならないのかというと、愛がないからです。
人を愛するということを知らないからです。
自分の意見を抑圧し、他人に迎合してしまうのは愛がないからです。
美徳とされる生き方が出来ないのも、愛がないからです。
僕たちが本心を捻じ曲げないと生きられないのは、愛を知らずに生きているからです。
本来は親から愛されるという形で愛を教えてもらえるのですが、親の愛が歪であったり、愛する力のない親のもとで育つと愛を知る機会がないのです。
だから僕たちは人の愛し方を学ばなければいけません。
愛するということは、相手を受け入れることであり、許すことであり、認めることであり、興味をもつことであり、尊重することであり、幸せを願うことであり、見返りを求めずにあたえるということです。
こういった感覚を意識し、他人と付き合っていくのです。
この人は今何を求めているのだろう。
この人は今何をしたら喜んでくれるだろう。
こうやって常に相手のことを考えて生きることが、愛を持った生き方であり、世間の言う「人のために生きる」生き方なのです。
まとめ
「人の為」に生きると「偽」りの人生を送ることになります。
それではあまりにも人生は満たされません。
そうではなくて、自分のために生きることを大切にしてください。
そのためには、愛をもって生きることが必要不可欠です。
親から教えてもらえなかった愛というものは、後天的に自分で身につけるしかないのです。
愛するということはどういうことなのかをしっかりと自分の中に落とし込み、まずは自分を愛してあげてください。
そして、自分を愛してあげることができたなら、次に他人を愛してあげましょう。
そうした生き方をしていれば、自分の本心と自分の生き方がリンクし、ストレスなく美徳ある生き方をすることが出来るはずです。