こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。
何かを始めようとしたり、目標に向かって頑張っている時にぶつかる才能の壁。
あいつと違って俺には才能がないから。
どうせ無理だから頑張るのはやめよう。
こんな風に、自分には生まれ持った能力が足りていないと考える人もいるのではないでしょうか。
ですが、才能というのは生まれ持った能力のことではありません。
では才能とは何なのでしょう。
今回の記事では、才能とは何かについてお話していきます。
才能とは何か
辞書で調べると、才能とは物事を成し遂げる力のことと書かれています。
僕たちは先天的な能力のことを才能と表現し、才能と努力を対義語のように扱う傾向にありますが、実際は後天的な努力も含めた能力のことを指すのです。
大谷翔平選手は野球のセンスの塊のように思えますよね。
ですが、彼が生まれたときから練習もせず剛速球を投げ、ホームランを量産していたようには思えないですよね。
その裏には、僕らには見えないだけでたくさんの努力があったのだと思います。
優秀な人間は生まれつき能力が優れているなんていうのは間違いなのです。
この世に生まれ落ち、物事に興味を持ち、そこから後天的に努力した結果が才能となっているのです。
間違った才能の使われ方
ですが、僕たちはつい才能がないことを理由に立ちはだかる壁から逃げてしまいます。
自分に才能がないと言えば、自分の努力が足りないということを誤魔化せるからです。
つまり才能という言葉は、言い訳の言葉であり、努力を諦めた人間から出てくる言葉なのです。
自分の能力のなさを自分の責任にせず、まるで先天的不幸のようにして他責的にすることで自分を守っているんですね。
才能を得るための条件
才能とは、先天的能力と後天的能力を含めた、物事を成し遂げる力であるという話でした。
ですが、後天的能力を培うには、一つ条件があると思うのです。
それは物事を好きになるということ。
好きこそ物の上手なれという言葉もありますが、物事を好きになれないとそもそも努力が出来ない。
興味もないのに後天的能力を伸ばすのは難しいのです。
ですから、才能というのは言い換えると、物事を好きになる力のことだと思います。
自分には才能なんて一つもないなんて考える人もいますが、こう考えると誰しにも才能はあって、そこから特定の分野でどれだけ後天的な能力を開花させていけるかが大切なのです。
大谷翔平選手は将棋ではなく野球が好きだったから野球で努力し、野球を才能としたのです。
藤井聡太八冠は野球ではなく将棋が好きだったから将棋で努力し、将棋を才能としたのです。
まとめ
あなたにも必ず才能は眠っています。
才能がないと感じるのは、後天的努力の部分が足りていないのか、方法を間違えているかという話で、才能自体はもっているのです。
才能という言葉を言い訳に使っているのでしたら、もうそれはやめにしましょう。
努力から逃げている自分に気づき、それを認めることです。
そして、自分がなりたい自分を目指して研鑽を積んでいく。
もちろん大谷翔平選手を越えるのは難しいでしょう。
世界には自分よりすごい人間なんてたくさんいるのです。
それが当たり前。無理に世界で一番を目指す必要はありません。
世界のトップというものは、目指すものではなく成るものですからね。
そういった世界のトップと比べるのではなく、あくまで自分がどれだけ成長したのかに重点を置くことで、劣等感を感じることなく努力することが出来るのではないのでしょうか。
特に意味もない僕たちの人生。
折角ですから、自分の才能を伸ばしてみるのも悪くないと思いますよ。