【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

不幸であることを認める

こんにちは、たけうちです。

はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

 

www.takeuchipsychology.com

 

あなたは今幸せですか?不幸ですか?

この質問に胸を張って幸せですと答えられる人はどれくらいいるでしょうか。

あまりいないのではないかと思います。

 

別に今幸せである必要はありません。

これから幸せになれば良いのですから。

ですが今が不幸だとして、そこから幸せになりたいのであれば、その不幸を認めなければいけません。

 

それは、間違いを認めないとその問題点を改善できないのと同じように、不幸であることを認めないと幸せにはなれないからです。

 

今回の記事では、不幸であることを認める大切さについて書いていきたいと思います。

ぜひ最後までご覧ください。

 

 

 

不幸を認める

不幸を認める。

今の不幸を受け入れる。

これが幸せになるための第一歩です。

 

それは、間違いを正しく受け入れることで問題の改善に取り組めるように、不幸もまた、正しく受け入れることで改善していくことが出来るからです。

 

例えば、自分が勉強できないことを不幸に思っているとしましょう。

 

勉強が出来ないという事実は辛い。

けど、その事実と向き合うほど心の強さはない。

 

勉強が出来ないのであれば、勉強をして出来るようになればいいだけの話なのに、その事実と向き合えない人は、勉強をしようとはならないのです。

それは、勉強をすることは自分の劣等感、欠乏感を感じることになるからです。

 

自分が勉強が出来ないということをありのままに受け入れていれば、そこからどうしていくかと生産的な姿勢をとることが出来ますが、それを受けれていない限りは、生産的な姿勢ではなく、現実逃避的な姿勢になってしまうのです。

 

だから、不幸を認めることが大切なのです。

人生のスタートラインに立つこと。

それは、不幸を認め、ありのままの自分を受け入れることなのです。

 

あなたは本当に幸せなのか?

たまに自分の不幸を認めない人がいます。

今の生活、人生に満足しているわけではないんだけど、それに満足できていないことを認めてしまうのが辛いから、今のままでも幸せと言い張ってしまうのです。

 

心の奥底、深い深い本音の部分では自分の幸せの形に気付いてるのに、それを抑圧して見えてないフリをしているのです。

自分が感じている不幸を不幸と定義せず、幸せに生きていると錯覚することで、自分の人生は良いものであると思おうとしているのです。

 

ですが、僕はこのままでも幸せだからこれ以上は求めないんだ、こんな風に言っていて幸せになれるでしょうか。

妥協して現状に満足して行動する足を止めて、幸せになれると本気で思っているのでしょうか。

 

もちろん心の奥底からそう言えているなら間違いなく幸せになれます。

 

ですが僕たち人間は大体が自己実現的な人間ではありません。

心の奥底に欠乏や渇望が渦巻いているものです。

 

そこに目を向けることが大切なのです。

自分は渇望しているのだと認め、受け入れることが大切なのです。

 

確かに渇望は抱かない方がいいでしょう。

あれもない、これもないと欠乏し求めることは、自分を苦しめるものだからです。

 

ですが、渇望を抱いてしまっている以上、不幸を感じてしまっている以上、そこから目を逸らしてはいけないのです。

自分のありのままの気持ちを抑え込み、なかったことにすることは、自分を裏切る行為に他ならないからです。

 

そんな渇望してしまっている自分を許して、認めてあげる。

そう感じる気持ちもわかるよと、自分に寄り添ってあげる。

こういった事故に対する受容的な姿勢が大切なのです。

 

今が不幸であり、自分の理想はもっと別の形であるのだと認めない限り、そこから前進はあり得ません。

ずっと今の生活を続けることになります。

 

事実は事実として受け止める。

その上でその事実と向き合っていく。

その事実を理想に近づけていくにはどうしたらいいかを考えていく。

 

これが、僕たちが幸せになるための方法なのです。

 

 

 

まとめ

 もし、自分が幸せだと思えてないのに、無理に幸せだと思い込もうとしているようでしたら、一度その不幸を飽きるまで味わってください。

 

あくまで客観的に、自分はこんなに不幸に感じていたのだなと認めてあげてください。

 

そんな渇望してしまうあなたも、大切なあなたなのです。

 

そんなあなたをいないことにするんじゃなくて、そんなあなたがどうやって生きていくかを考えていく。

 

これが僕たちがすべき自己受容的な生き方だと思います。