こう思われたくないだとか、こう思ってほしいだとか、しばしば僕たちはそういった欲を抱えています。
相手が自分にどういう印象を持つかを気にしてしまうわけですね。
例えば、コロナ禍でつけ始めたマスクですが、マスク解禁となっていっても外せない人もいます。
その理由が衛生面であるならいいのですが、顔に自信がないために外せないなんていう理由の人もいるわけです。
どうして顔に自信がないと外せないのかというと、不細工と思われたくない、可愛いと思われたいという気持ちがそこにはあるからですよね。
他にも、誰にでも良い顔をして、頼まれごとは何も断らず、優しくする人がいます。
その人が相手を思いやって、相手の幸せのために優しくしているのなら問題はなく素晴らしいことだと思いますが、好かれたい、嫌われたくないといった理由で行動してしまっている人もいます。
このように人はつい背伸びをして、自分を大きく見せようとしてしまいます。
なぜこのようにしてしまうのかといえば、現実の自分を見れていないから、ということが言えるでしょう。
そう、僕たちは現実の自分を見れてないし、受け入れてないことが多いんです。
こういったことに関しては、しっかりと現実を直視して認めて、肯定的に諦めることで受け入れることができるでしょう。
先ほどの例で言うなら、マスクをしていれば不細工だと思われないし、目元だけなら可愛く見えます。
しかし、事実はどうでしょうか?現実の自分はどうでしょうか?
あなたが印象を操作したところであなたの顔は変わらないし、仮によく思われたところでそれはあなたがよく思われた訳ではないですよね。
誰にでも良い顔をして優しくする人も、そうしていれば誰からも嫌われないし、好かれることも多いかなと思います。
しかし、実際のあなたはそんな優しい人間ではないわけです。
これもまたマスクの例と同じで、こんなことで嫌われないようにしたり好かれようとして因子を良くしても、評価されてるのは実際のあなたではなく偽物の作り上げたあなたですよね。
それって、意味ありますか?
僕たちが本当に見つめないといけないのは、作り上げた虚構の自分でしょうか?
他人の印象を良くするための自分でしょうか?
偶像の自分を大切にしたところで、それは幻であって存在していません。
本当に存在しているのは、現実の、実際の、ありのままのあなたです。
それは理想からしたら程遠いとは思います。
ですが、その理想とのギャップに折れて、逃げてはいけません。
自分を偽ることは逃げるのと一緒です。
大切なのは、現実の自分を認めて、その自分でどう生きていくかを考えていくこと。
その自分をより良くしていくことではないでしょうか。
例えば、マスクをしていたいと思っていた人は、どう足掻いてもその顔は変えられない訳です(整形もありますが、劣等感からくる整形はおすすめできません)
その事実をしっかり認めて、その顔と向き合っていきましょう。
そうやって現実を直視していくと、その自分の素材の良さを活かしたメイクができるようになったり、その素材が出せる100点をとろうとするようになるかなと思います。
他人にいい顔をしてしまう人も同じで、実際の自分は優しくないし、相手を思いやって行動できる人間ではありません。
ですが、それでいいんです。
それはどうしようもない事実なので、それをしっかりと見つめて、受け入れていきましょう。
そうして受け入れられた時に、どうすれば相手に優しい気持ちを持てるようになるのか考えられるようになります。
これらの具体例以外にも自分の印象を変えるために人は様々なことをしますが、全てに共通して言えるのは、人は本当の自分を受け入れていない時は偶像の自分を変えようとし、本当の自分を受け入れてる時は本当の自分を変えようとするということです。
今あなたが変えようとしてるのは偶像の自分でしょうか?本当の自分でしょうか?
そういった所から紐解いていくと、自分が受け入れられてない自分像というものが分かるかも知れませんね。