今日、家に帰ると母親が僕のライブで買った思い出のTシャツを着ていました。
よく見ると首元に黒い汚れがあり、聞いてみたところどうやら白髪染めがついてしまったらしいです。
おいおい、そんなのする時に僕のライブTシャツを着るんじゃないと思いつつ、ライブTシャツがダメになってしまったことにショックを受けていました。
いつもの僕だったらイライラしながら、どうしてくれるんだ!だの、弁償してくれよ!だの言いたくなる所だったのですが、不思議とそういった負のエネルギーが湧いてきません。
ただただショックで、残念な気持ちに包まれていました。
そこでふと気づいたんです。
これは相手の過ちを許しているんだと。
人生で初めての感覚で驚きましたが、全く心が汚れなかったんです。
この許す感覚はまさに、現実を受け止めた感覚そのものでした。
僕のライブTシャツは汚れてしまった、その事実は変わらないわけです。
どう相手を責め立てようとも、どう相手に感情をぶつけようとも、綺麗なライブTシャツは帰ってこない。
そのことを心から理解しているからこそ、怒りではなくショックな気持ちで心が覆われたんだと思います。
そして、まあ着れない訳ではないし。と、許すことができました。
自己受容でよく言う、自分を受け入れるという言葉は、認めるだったり、許すだったりと言い換えることができるわけですが、逆説的に許すことができた時、それを受け入れたと表現することも可能なわけです。
現実を見て、変えられない現実を憂うことなく受け止めて、そこからどう解釈するかが受容をする態度として大切なのだと気付かされました。
そしてなにより、自分と向き合い続けてきた過程が、やっと形になってきた瞬間だったと感じています。
自分を受け入れることが苦手な人は、変えられない現実を事実として認めて、受け入れて、そんな自分を許してあげることで、段々と受け入れられるのではないかと思います。