「別に何かされたわけじゃないのに、なぜか嫌いな人がいる」
そんな経験、ありませんか?
今日は、そんな「説明のつかない嫌悪感」を通して、自分の内面を見つめ直すきっかけになったエピソードを紹介したいと思います。
なんとなく不快なおばあちゃん
レジをやっていると、なぜか見るたびに不快な気持ちになるおばあちゃんがいます。
その方は、買い物のたびに何度もレジに並び直すんです。
1品買ってはまた列に戻り、また1品買って…というのを何度も繰り返す。
別に僕が迷惑を被っているわけではないし、直接何かされたわけでもありません。
それなのに、見かけるたびにどこかモヤモヤした、落ち着かない気分になるんです。
「嫌悪感の正体」は、自分の中にあった
ある日、なぜこのおばあちゃんにこんなに反応してしまうのか、自分の心に問いかけてみました。
すると、思いがけないことに気づきました。
それは、そのおばあちゃんが、他人からの愛情や関心を求めているように見えたこと。
そして、その姿が、僕自身の中にもある「認められたい」「構ってほしい」といった気持ちと重なったことです。
たとえば、誰かに「ちゃんと見ていてほしい」と思うとき、わざと分かりやすく行動してしまうこと。
遠回しに存在をアピールしてしまうこと。
そういう“子どもっぽさ”を、自分の中にも感じていたからこそ、他人にそれを見せつけられるようで不快に感じたのかもしれません。
「なんでか嫌い」は、自分を映す鏡かもしれない
僕がそのおばあちゃんに感じた嫌悪感は、相手の問題というより、自分の中の未解決な部分を突かれた感覚だったのだと思います。
つまり、「嫌な相手」が悪いのではなく、「その人を通して見えてしまった、自分の嫌な部分」が問題だったのです。
こういうとき、自分の心が試されているように感じます。
なぜなら、他人を許すということは、自分の未熟さや弱さを許すことにもつながっているからです。
「そういうところ、自分にもあるな」
「でも、そういう自分も含めて受け入れていこう」
そう思えたとき、不思議とそのおばあちゃんに対する不快感は薄れていきました。
「嫌な人」は、自己受容への入り口になる
私たちは、自分が無意識に「悪い」と思っている性質を他人に見たとき、それを嫌悪として感じます。
でも、その嫌悪感は、実は自分を深く知るチャンスなのかもしれません。
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なぜこの人にイラっとするのか?
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その反応は、どこかで自分自身にも向けているのではないか?
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その感情の奥には、何かしらの「痛み」や「怖れ」がないか?
こうした問いを自分に投げかけることで、少しずつ他人との関係も、自分自身との関係も、変わっていくように思います。
まとめ
「なぜか不快な人」という存在は、私たちの心を映す鏡です。
嫌悪感を感じたとき、それをただの「相性の悪さ」や「相手の問題」で片づけるのではなく、「もしかしたら、自分の中にも同じものがあるのかもしれない」と、少しだけ立ち止まってみる。
その瞬間こそ、自己理解が深まり、自己受容が始まるきっかけになります。
「嫌な人」は、自分を嫌わないための、ささやかなヒントを届けてくれているのかもしれません。
【心の奥にある「欠乏感」と向き合いたい方へ】
この記事を通して、もしあなたの中にも「満たされなさ」や「何かが足りない」という思いがよぎったなら、それは心からのサインかもしれません。
僕は「欠乏感」と丁寧に向き合いながら、内側から自分を理解し、受け入れていくためのサポートをしています。
苦しみを無理に消そうとするのではなく、共にその意味を見つけ、自由に生きる力を取り戻すことを目指しています。
もし今、「話してみたい」「整理したい」「一人では難しい」と感じていることがあれば、お気軽にご相談ください。
あなたのペースを大切にしながら、安心できる場を一緒につくっていけたらと思っています。
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