【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

いじめられる側といじめる側はどっちが悪いのか

こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

www.takeuchipsychology.com

僕たちのようなアダルトチルドレンなどの神経症傾向がある人たちは、いじめられた過去を持つ人も多いです。

もちろん家庭での生育環境の問題もあるのですが、いじめなどの家庭外の社会で起こる問題が要因となってる場合もあります。

 

親子関係や友人関係、広く言ってしまえば人間関係で起こるいじめという問題を語るときに必ず出てくる話があります。

 

いじめはそもそも、いじめられる方が悪いのか。

それとも、いじめる側が悪いのか。

 

こういった話題はインターネットを通じて何度も繰り広げられていますし、どちらの派閥も存在しているので、正しい答えとは何なのだろうと考えてしまいます。

 

もちろん何を判断軸とするかによって人それぞれの正義は変わると思うので、絶対的な答えは出ないかと思いますが、今回の記事ではあくまでぼく自身のいじめに対する捉え方を共有出来ればと思っています。

いじめられた人、いじめに苦しんでいる人の助けに少しでもなれればと思いますので、ぜひ最後までご覧ください。

 

 

 

 

なぜいじめるのか

どうして人はいじめをしてしまうのでしょうか。

やはりそこには心の弱さが隠れています。

 

愛されなかった過去、ありのままの自分を受け入れられない葛藤、心に蔓延る劣等感など、様々な心の弱さが攻撃性となって他者に向けられたものがいじめとなっていきます。

 

誰かを攻撃することでその苦しみや葛藤を解消しようとしているのです。

 

他者を否定し、貶めることでしか自分の心の苦しみは解消されない。

しかもその解消も一時的であり、根本的に解決するわけではない。

 

だから標的にできそうな人を無差別に攻撃するのです。

 

いじめとは弱いもののやるものだとはよく言ったもので、心の弱い人間が自分の弱さから目を背けるためにやる行為がいじめなのです。

 

いじめの原因はなんなのか

いじめの根本的な原因は、いじめられる側の抱える問題が原因なのか、いじめる側の心の弱さが原因なのか。

これは間違いなくいじめる側の心の弱さが問題です。

 

他人に対する受容の能力が低く、受け入れられない人に対して攻撃性を持つからいじめてしまうのです。

 

どうしていじめられる側ではなくいじめる側が原因なのかと言えば、行動の責任は行動したものに付随するものだからです。

 

例えば、ダイエットをしてるのにも関わらず、美味しそうなお菓子があったから我慢出来ずに食べてしまったとします。

 

お菓子は「食べられた側」ですが、このお菓子が食べられたのは美味しそうなお菓子だからいけないのでしょうか。

違いますよね。

ダイエットをしている自分を律することができずにお菓子を食べてしまった人に原因があるのです。

 

もう一つ例を出します。

ゲームで遊びすぎたせいで勉強が出来ず、テストの成績が散々なものだったとします。

 

ゲームは「遊ばれた側」ですが、このゲームが遊ばれたのは面白そうなゲームだからいけないのでしょうか。

これも違いますよね。

テストが近いのにも関わらず、ゲームの誘惑に負けて遊んでしまった人に原因があるのです。

 

行動の責任というのは、必ず行動した人に課せられるものです。

決して行動を受けた側に責任を課せられるものではありません。

 

改めていじめで考えてみましょう。

あなたがいじめれらていたとします。

あなたは「いじめられていた側」ですが、あなたがいじめられたのは他人とは違うような要素を持っているあなただからいけないのでしょうか。

そうなんです。これも違うんです。

いかなる理由があろうと、他人の違いを受け入れられず、自分の弱さに飲み込まれてしまったいじめっ子に原因があるのです。

 

行動の責任は行動した人に課せられるということは、行動が原因で問題が起こっている場合、その行動をしている人に問題があるのです。

行動された側は、ただされただけ。

何かしらの要因を抱えていたにせよ、それは要因であって原因ではなく、根本的な問題は行動を起こした側にあるのです。

 

あなたは悪くない

あなたは悪くないのです。

確かにいじめには理由があります。

 

周りと違って太っていたから。

調子に乗っていたから。

キモイから。

 

様々な理由があるものですが、実際太っていたとしても、調子に乗っていたとしても、キモかったとしても、それは要因にしか過ぎないのです。

原因は、行動を起こすと判断したいじめっ子にあるのです。

 

そして、要因とされた特徴を実際に抱えていたとしても、それは悪いことではないのです。

他人と何か違う要素も持っていたとしても、他人より劣っている要素を持っていたとしても、悪いことではないのです。

 

何故なら人それぞれみんなが違うものですし、何かが秀でていたら何かが劣っているように、ステータスというのは人と違くて当たり前なのです。

 

森に生い茂る木を見て、なんでこの木だけ形が違うんだと言うでしょうか?

一つとして同じ形、同じ大きさの木はありません。

 

デコボコに不自然であることが自然なのです。

 

人も元は自然界の生き物です。

みんな不自然であることが自然な生き物なのです。

 

だから、人と違うことが悪いだとか、劣っていることが悪いだとかは思わないでください。

 

それが当たり前なのです。

 

 

 

まとめ

いじめの問題は、いじめっ子の心の弱さにあります。

自分の心に抱える葛藤を攻撃性にして外に吐き出すいじめっ子は、心の弱い存在なのです。

 

そんな人に標的にされて、否定や攻撃をされたら、やはり傷つきます。

 

ですが、心の弱い人が否定してきたことが世界の当たり前だと思わないでください。

心の弱い人はありのままの相手を受け入れる心の器が備わっていないから攻撃をしてしまいますが、心の器が備わっている人はあなたを受け入れています。

 

確かにあなたは周りと違うかもしれないし、周りよりも劣っているかもしれません。

ですが、それでいいのです。

ほとんどの人が、あなたの弱みを受け入れて生きているのです。

あなたが違っていても劣っていてもどうでもいいし、なんならなんとも思ってないのです。

 

少数派の声に騙されることなく、世界を広く見るのです。

 

あなたは悪くないと思っている人がたくさんいることに気づけるでしょう。

 

いじめは人を傷つけ、心に大きな葛藤を植え付けます。

相手への思いやりをもって日々を過ごし、成熟した人間を目指したいですね。

 

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