自己理解、自己受容を通して自己実現するためのブログ

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責任から逃れたいのはなぜか

こんにちは、たけうちです。
はじめましての方は、こちらの記事もご覧ください。

 

www.takeuchipsychology.com

 

私ごとですが、免許更新に行って講習を受けてきました。

その中で、飲酒運転によって人生が狂ってしまう映像を観ることになったのですが、改めて責任とは何かを考える良いきっかけになりました。

 

責任をとるとは一体どういうことなのだろう。

そもそも責任をとりたくない人は、なぜ責任から逃れたいのだろう。

 

こういった問いかけに対して僕なりの答えを見つけてきたので、今回は責任についてお話ししていこうと思います。

責任感がなくて悩んでいる人はぜひ読んでいってくださいね。

 

 

 

責任をとるとは

責任をとるという行為は、どういった行為なのでしょう。

責任をとるというのは、どんな結末になろうともその責任を自分のモノとすることです。

誰のせいでもなく自分のせいであると認め、受け入れ、その結末がどんなものであろうと、そこから前進しようとする姿勢です。

 

仮に過ちを犯したとして、責任をとらなければならない時には、ただその結末を受け入れて自分を責めて終わりにしてはいけません。

そこから如何にして現状を回復するかという部分が大切なように思えます。

 

どれだけ酷い結末が待っていたとしても、そこで歩みを止めずに進み続けることが責任をとるということなのでしょう。

 

責任は選択に付随する

僕たちは日常的に責任と向き合う機会が訪れます。

遊びに行く先が面白いかどうかも選んだあなたの責任になりますし、ご飯を食べに行く際も美味しいかどうかはあなたの責任、何か買い物をする際も良い商品かどうかはあなたの責任、選択をすることに対して責任というのは付随してきます。

毎日は選択の連続ですから、常に責任と向き合っているんですね。

 

でも、失敗した結末を受け入れることは出来ない。

常に正解を選ばないと気が済まない。

 

だから責任から逃れたい人は選択すること、特に新しい方向に選択することを嫌います。

今までに選択したことがあるものは結末が想像できるので安心して選択できるのに、新しい選択は避けてしまうのは、結局のところ失敗した時にその結末を受け入れられないからでしょう。

 

毎回他のメニューも食べたいなと思いつつも結局同じメニューを頼んだり、他の商品と悩みつつも結局いつもと同じものを買ってしまう。

他に目が行きつつも結局お馴染みのものが大好きなのだとしたら、あなたは責任を取ることから逃げているのかもしれません。

 

自分の選択の結末が上手くいこうが失敗しようが、その結果を受け入れること。

失敗したらそこから何を学び次にどう活かすかを考えること。

損失ではなく、そこから得た物に目を向けること。

 

これが、責任をとるという部分で大切なことなのではないでしょうか。

 

責任から逃れたいのは何故か

責任から逃れたい人がいます。

最終決断は常に他人、あなたが良いと言うなら僕もそれに従うというスタンスです。

常に自分に責任が来ないよう立ち回り、何か問題が起きれば自分ではなくその人のせいであると言うことで、自分の身を守るのです。

 

どうしてそこまで責任から逃れたいのでしょうか。

それは、選択を責められた過去があるからです。

 

人生は選択の連続、つまり責任の連続です。

場合によってはあなたの判断が間違っていて、お前のせいでこうなったと強く叱責されることもあったでしょう。

それが子ども時代に起きたとなれば、選択することは子どもにとってかなりの心理的負担になります。

万が一選択を失敗したら、また責められるのではないかという恐怖、不安がつきまとうようになるのです。

 

もちろん子どもは責任を負えるような存在ではありません。

だから保護者がいるのです。

なのに、その保護者が自分の選択を責めてくる。

これではどうしたって傷つきますし、選択を避けるようになってしまいます。

 

もしあなたが責任から逃れるような癖があるなら、過去に責められた経験があるか考えてみてほしいのです。

 

自分の選択ミスを保護者が責めていたとしたら、あなたはその過去の記憶の怯えを現在の事象に当てはめて再体験してしまっているのです。

 

結末を受け入れる勇気を持つ

あなたが責任感を求めるのであれば、結末を受け入れる勇気を持つことです。

どんな結末になったとしても、仮に間違えた選択をしたとしても、そこからどう生きるのか、その間違えた経験をどう活かすのかを大切に生きるのです。

 

あなたが何かを間違えたとして、責められた過去と今はなんの関係もないのです。

ただ、いま犯した過ちを認め、受け入れるだけでいいのです。

あなたの失敗ではありますが、誰もあなたを責めたりはしません。

あなたが勝手に失敗して、勝手になんとかするだけの話です。

他人がどうこう言ってくる場面ではないのです。

 

逆に言えば、間違えるのを恐れているのだとしたら責任をとってしまえばいいのです。

間違えたら間違えたで、自分がなんとかする。

結末を良い方向に向けられるよう善処すればいいだけなのです。

 

だから潔く結末を受け入れて、前に進むことです。

とにかく歩みを止めないことが、責任をとる上では大切なのではないでしょうか。

 

 

 

まとめ

選択に責任が付随しているから、人生は責任の連続で、責任から逃れることはできません。

だからこそ、責任から逃れるのではなく立ち向かう姿勢が必要なのです。

 

あなたが過ちを犯したとして、責めるような人はもういませんし、結末を良い方向に向かうようあなたが責任をとってケアをすればいいだけの話です。

 

選択することから逃げるのはやめましょう。

簡単なことからでいいと思います。

 

見知らぬ料理屋に入って食べてみる。

美味しくなかったら、選択のミスに焦点を当てるのではなく次に活かす。

次は別のメニューを頼むか、もう来なければ良いだけです。

 

間違いは無駄ではありません。

間違いは経験としてあなたの中に残り、あなたの血となり肉となります。

 

ガンガン失敗して、その結末ごと楽しみましょう。

損失に目を向けるよりも、その事象から何を得れるか考える方がより生産的ですよ。