【脱不幸論】自分だけの人生を。

自己理解、自己受容を通してなりたい自分になるお手伝いを。

今まで生きてきた自分に誇りを持つ

こんにちは、たけうちです。

 

自分のことをなかなか認められず、好きになれない。

どうしても劣等感から逃れることが出来ない。

こう悩んでいる人も多いのではないかなと思います。

 

特に神経症傾向がある人にはこういった感覚が強いのが現状だと思いますが、もしあなたに神経症傾向があるのであれば、自分に誇りを持つことが大切なのです。

 

今回の記事では、あなたが自分に誇りを持ってもいい理由についてお話ししたいと思います。

 

 

 

こんな人生なのに誇りなんて持てるわけない。

自分の人生なんて汚点だらけだ。

自己肯定感が低く、神経症傾向が強い人にとっては、このように感じることがあるかと思います。

どうしても今の自分が素晴らしいと思えないのです。

 

ですが、自己肯定感が低い、アダルトチルドレンを始めとした神経症傾向がある人たちは、実はとても素晴らしい偉業を成しているのです。

 

こんなことを言うと、何も成せていないからいま苦しいんだといった声が聞こえてきそうではありますが、あなたは間違いなく偉業を成しているのです。

 

ではそれは何か。

 

あなたが今までの人生の中で、苦しみの中でずっと生き続けてきたということです。

 

たったそれだけ?と思うかもしれませんね。

あなたにとっては当たり前だったかもしれません。

ですが、あなたが心に葛藤を抱えて、苦しみの中をずっと生きてきたということは、神経症傾向がない人たちと比べるとなんとも辛い人生を送っているのです。

 

その人生を自分で絶つことはせず、いままで生き抜いてきた。

辛くて苦しいストレスを常に受けながらここまで生きてきた。

これが何よりも評価に値する偉業なのです。

 

自分では全くすごいことだと思えないかもしれないですし、努力をしてきた感覚もないかもしれません。

それはあなたにとってそれが当たり前だったからです。

 

ですが、神経症傾向がない人、それを克服してきた人からすれば、それは弛まぬ努力の賜物でしかないのです。

 

勿論自分のやりたいことで何か成果を上げた人というのもたくさんの努力があってその結果があります。

あなたはその努力と同じくらい、苦しい日々を生きることを努力してきたのです。

育った環境で決まってしまったこの神経症傾向というものに負けることなく、日々を戦い抜いてきたのです。

 

これが偉業ではなくしてなんなのでしょうか。

 

ただ、僕たち神経症傾向がある人は、努力のベクトルがずれてしまっているだけで、素晴らしい偉業をなしているのです。

 

神経症傾向がない人とはそもそもスタートラインが違うのです。

前提が違うのです。

だから、神経症傾向がない人と比べて自分は何もしていないとかいうのは、そもそもが間違いなのです。

 

あなたは、その苦しみの中今まで生きてきたことが何よりも価値があり、誇れることなのです。

 

自分を誇ってください。

自分は何も成し遂げていないなんて思わないでください。

 

あなたがまだ自分の人生を終わらせず苦しみと戦っている、向き合っていることは何よりも価値があり、誇れることなのです。

 

すごいんです。

今までの自分を褒めてあげてください。

俺っていままでこんな環境で良く生きてたなと。

良く逃げずに戦い抜いてきたなと。

そうやって今までの自分を認めることも大切です。

 

昨今自殺者が増えていく現代において、あなたは現実に負けず戦い続けている。

それは実際にすごいことをなんです。

そんな自分を大切にしようと行動をすれば、正しく努力ができれば、あなたは今の苦しみからも解放され、幸せな未来へと行くことが出来ます。

 

 

 

これからも苦しみと戦うくらいでしたら、もっと幸せを追求するためにいきるようにしませんか?

僕のブログで少しでも自分の幸せについての考え方が変わればなと思っています。