こんにちは、たけうちです。
自分の印象を良くしたいと思う人は多いと思いますが、みなさんはいかがでしょうか。
みなさんも何気なく自分の印象を良くするために何か行動をとっているかと思います。
なんだか毎日無理をして疲れてしまっている、なんて人は、もしかしたら自分を良く見せることに疲れてしまっているのかもしれません。
世渡りという観点からすると大事なように思えるこの自分を良く見せるという行動ですが、自己受容という観点からすると、その行動に価値を置くことは難しいのです。
それは何故か。
今回の記事では、自分を良く見せる必要性、自己受容と自分を良く見せることの関係について考えていきたいと思います。
さて、まず自分を良く見せる必要性があるのかという疑問については、必要性はないと答えておきましょう。
そもそも、なんで自分を良く見せようとするのかといえば、誰かに好かれるためであったり、自分の評価を上げるためだったりと、他人の好意を得るために自分を良く見せようとします。
そこまでやらなくても、あなたはありのままで魅力がありますし、多少の弱点があっても、あなたの価値は揺るぐことはありません。
ですが、自分を良く見せようとしてしまう人は、自分の弱点を隠すために嘘をついたり、自分にないステータスを誇張したり、嫌われないために相手に迎合するような動きを見せたりします。
これらは全て、ありのままの自分では受け入れられないという思い込みからきている行動です。
少し心当たりがある人もいるのではないでしょうか。
確かに、自分を良く見せることで誰かに気に入られたりとメリットがあることは事実かもしれませんが、気に入られているのは自分ではなく、偽っている自分です。
周りが評価しているのは偽りの自分であり、それを本物の自分が評価されていると勘違いして安心しているようなことは、自分への裏切りに他なりません。
まずは偽りの自分で周りに認められていることに価値があるのか、改めて考えていただきたいと思います。
実際ありのままの自分で受け入れられないのか、認められないのかと言えば全くそうではないことに気づけるはずです。
そうしたら勇気をもって少しずつ本当の自分で生きる決心をしましょう。
誰かを騙していたのであれば、潔く自分の過ちを認め、謝罪を通して自分の弱さを認めるのもいいと思います。
では、自分を偽ること自体必要ないという前提の上で、自己受容に対して、自分を良く見せることがどのような影響を及ぼすのかを考えていきたいと思います。
結論から言うと、自分を良く見せることは自分を否定することなので、自己否定が起こっています。
なので、自己受容を進めているような人が自分を良く見せようとしてしまうと、そこで自己受容が止まってしまうのです。
なぜ自己否定に繋がるのかというと、本当の自分を隠すことが自己否定だからです。
例えば、本当は遊びの誘いを断りたいのに自分を良く見せようとして誘いに乗る人って多いのではないでしょうか。
これも、本当は付き合いの悪い自分を付き合いが良い自分に見せているんですね。
このとき、本音では断りたいという気持ちがあるのに、自分を良く見せるがために自分の本音を抑圧してしまっているのです。
他にも、学歴コンプレックスがあり、出身大学を少し盛って話してしまうという話もよく聞きますが、これも自分を良く見せようとすることで、本来の学歴の自分を否定してしまっています。
こうやって見てみると、自分を良く見せようとすることは、自己否定に繋がり、自己受容には繋がらないことが分かるでしょう。
自分を大きく見せようとしないでください。
ありのままの自分で生きるのです。
確かに、自分では弱点だと思っている部分です。
そこを晒すのは怖いことだと思いますし、すごく勇気がいることだと思います。
ですが、あなたが大事にしたいのはどちらかをもう一度考えてみてください。
本当は存在しない幻想を、あなたが作り上げた形のない幻想を認めてもらって何になるのでしょう。
そこに何の価値があるのでしょう。
そこに価値はありませんよね。
だって、自分じゃないんですから。
そうしたら、まずは本当の自分を自分が愛してあげましょう。
認めてあげましょう。
あなたが愛さなくて誰が愛するというのでしょうか。
他の誰かが認めなくても、あなたがあなたを認めていたらそれでいいではないですか。
そのためには、自分を良く見せてはいけないのです。
自分を裏切ってはいけないのです。
自分を否定してはいけないのです。
もしこれで、自分を抑圧せずに自分の意思を貫き通したり、自分を偽っていいたことを認め白状できたとしたら、あなたは相当な勇気の持ち主です。
努力というのは、自分を誤魔化すためにするのではなく、自分を大切にするためにしていきましょう。