こんにちは、たけうちです。
自分には価値がないと感じている人は割と一定数いて、その無価値観によって幸福から遠ざかってしまっていることも多いです。
無価値観を克服するために書籍にふれたり、様々な情報にアクセスすると言われているのが、あなたは生きているだけで価値があるという言葉です。
確かに言いたいことは分かるし、なんとなく理解はできるのだけど、納得までいかない。なんとなくモヤモヤしてしまう。
今回はそう感じている人のために、自分の価値についての考え方をいくつか提示したいと思います。
僕たちが自分に価値を感じるのはどういうときでしょうか。
価値の意味を調べると、ある主体にとって有用な事物の性質と書かれています。
つまり、価値というのは、ある視点を軸にして価値の有無というのを決めているということで、視点によって価値があると言われる時もあれば、価値がないと言われる時もあるということです。
例えば、人間からしたら害でしかない蚊も、実は地球の営みには必要だったりします。
幼虫のボウフラは水中の有機物やバクテリアを食べ、水の浄化を担っている側面がありますし、成虫は植物の花粉の媒介としても機能します。
視点が変われば、価値は変わる。
価値というのは、非常に不安定であり一つの側面を映しだしているだけなので、自分の要素で価値がないと感じている部分があったとしても、視点を変えると価値が生まれることが多いと思います。
なので、簡単に自分に価値はないと決めつけることが出来ないというのが現実です。
価値の不安定性が理解できたところで、次に何に価値を見出すべきかという話をしたいと思います。
僕たちが自分の価値として認めているものはなんでしょうか。
容姿が優れていたら価値がある。
お金をたくさんもっていたら価値がある。
いい仕事に就いていたら価値がある。
高価なものを持っていたら価値がある。
愛されていたら価値がある。
などなど、こういった感覚の人は多いのではないでしょうか。
だからこそ、そういったものを追い求めて努力しているのだと思います。
ですが、これらは不安定な価値です。
時が経てば劣化してしまうもの、壊れてしまうもの、失くしてしまうものであり、こういった不安定なものに価値を置いてしまうと、いざ失った時に無価値観に苦しんでしまいます。
価値は、普遍的なものにおくべきなのです。
あなたの命が尽きるまで変わることなく、あなたの手の中に在り続けるものにこそ価値があり、あなたが大切にすべきものなのではないでしょうか。
ではそれってなんでしょうか。
僕は「魂」だと思っています。
スピリチュアルっぽく聞こえますが、そういった視点ではないです笑
人を構成する要素として、肉体、心、魂の3つが挙げられますが、人々が全員手にしていて、変わることなく在り続けるものは魂だけです。
肉体は劣化していきますし、心は常に移ろいでいるものです。
魂だけは、衰えることなく常に成長し、成熟していきます。
この魂を持っているだけで、そこには価値があるんです。
だから、人々は生きているだけで価値があると言われているのだと思っています。
だから、自分の価値を磨きたいと感じている、自分の無価値観から抜け出したいと感じているのであれば、自分の魂、言い換えるならば人間性を磨くことが大切です。
真善美という言葉がありますが、これは普遍的な人間の絶対的価値とされています。
真とは、嘘偽りのないこと。
善とは、道徳的に正しく在ること。
美とは、すべてのモノに調和的であること。
(個人の解釈が強いかもしれないので、ご自身で学んでみてください)
これを磨き上げていくことが人間性の成熟に繋がると思うので、意識して生活することをオススメします。
上記での内容でもしっくりこない方向けに最後に一つ、ここ最近僕が考えていることなんですが、そもそも人間に価値は存在してないのではないかとも思っています。
上述しましたが、普遍的ではないものは視点が変わるだけで価値が移り変わるので、価値の指標としては不十分です。
そして、僕たちは魂以外の部分に普遍性がなく、不安定な価値に惑わされ続けています。
圧倒的に価値がつけれない要素ばかりなのであれば、そもそも人間に価値をつけることが間違いだと思うのです。
価値があることがデフォルトだと思っている僕たちが間違っていて、たった一つの物差しでは測れない存在が僕たちなのではないのでしょうか。
だとしたら、世界中の人間には価値はないし、見出す必要も比べる必要もないですよね。
自分に価値がなくて当たり前で、みんな価値がないのだから、気にすることなんてなかったんです。
大切なのは、そんな価値のない状態の自分がどう生きるかだと思います。
不安定な価値の塊の自分が、どういった普遍的な価値をこれから生んでいくのか。
そこに注力していくことが、人生を豊かにする一歩目になるでしょう。
僕たちの考える価値がいかに不安定で、普遍的なものではないかを説明してきましたが、少しでも納得できていれば嬉しいです。
価値があると言えば価値はあるけど、そもそも価値をつけるのがナンセンスだから、価値がなくて当たり前。
これくらいゆるく考えていった方が生きやすいのかもしれないですね。