人生は、川のようだと感じます。
意志を持たずとも、水に身を任せていれば、ある程度までは進んでいく。
けれど、もし自分が望む場所にたどり着きたいなら、どこかで流れに逆らい、自分の力で泳がなければならない。
ただ流されているだけでは、たどり着けない場所がある。
そのことに、僕はようやく気づきました。
気づかないうちに、僕たちは「流される生き方」をしている
あなたは今、しっかりと泳げていますか?
もしかしたら、「人生に目的なんてなくてもいい」「流れに任せていれば何とかなる」と思っているかもしれません。
実際、僕もそうでした。
けれどそれは、選んでいるようでいて、実は「選ばないことを選んでいる」だけだったんです。
流れに任せるということは、人生のハンドルを手放すということです。
自分の意思で動くことを放棄し、誰かの価値観や、環境、過去の延長線に乗っているだけ。
「本当はこうしたかったのに」と後になって思うとき、気づくのです。
あの時、自分は泳ぐことを避けていたのだと。
泳げなくなった理由
僕が泳ぐことをやめたのは、きっと「怖さ」からでした。
うまく泳げなかったとき、沈んでしまうかもしれない。
恥をかくかもしれない。
傷つくかもしれない。
それなら、最初から泳がなければいい。
そんなふうに、自分を守ってきたのだと思います。
頑張らなければ、失敗もしない。
だから、ただ川に身を任せていたほうが楽だった。
けれど、その「楽さ」は、少しずつ僕の心を蝕んでいきました。
流されるまま進んだ先には、誰かの人生しかなかったのです。
傷ついたからこそ、気づけたこと
あるとき、どうしようもなく打ちのめされる出来事がありました。
人生の流れに身を任せていたはずなのに、たどり着いた先には、望んでいた未来なんてなかった。
そのとき初めて、「ああ、ここまでずっと、自分で泳いでこなかったんだ」と思い知らされました。
泳ぎ方を知らないまま来てしまった。
でも、それに気づけたことは、不幸ではなく希望でした。
なぜなら、「これから泳げばいい」と思えるようになったからです。
不格好でもいい、自分の足で進むこと
犬かきでも、バタ足でも、形なんてどうでもいい。
大切なのは「泳げているかどうか」です。
泳ぎ方は人それぞれ。
周りと比べる必要なんてありません。
岐路に立ったとき、ちゃんと自分の意思で選べているか。
その一点が、自分の人生を自分のものにしていく鍵だと今は思っています。
このブログを書くことも、僕にとっては泳ぐことの一つです。
文章を書くのは得意じゃないし、今でもときどき怖くなる。
けれど、少しずつでも前に進めている実感がある。
それが、人生の手応えに繋がっています。
自分の人生を、取り戻すために
もしあなたが、これまでの人生にどこかモヤモヤを感じていたのなら、それはきっと、自分で泳ぐことを忘れてしまっていたからかもしれません。
人生は、ただ流れるだけでも進んでいく。
でも、行きたい場所へは、あなた自身が舵を取らなければたどり着けない。
だから、もう一度問いかけてみてください。
最後に、自分の意志で泳いだのは、いつでしたか?
そして、今日からでも遅くはありません。
不格好でもいいし、怖くてもいい。
ほんの一歩でいいから、自分の意思で泳ぎ始めてみてください。
泳ぎきった先に見える景色は、きっと今とは違うものになっているはずです。
まとめ
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人生は川のように進んでいくが、望む未来に行くには自分で泳ぐ必要がある
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泳ぐとは、自分で意思を持って選択し、行動すること
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怖さや不安から逃げずに、不格好でも自分の人生を生きる覚悟が必要
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自分の力で泳ぎ始めたとき、人生は自分のものになる
この記事が、あなたの「人生への向き合い方」を見直すきっかけになれば嬉しいです。
あなたの旅が、あなたらしいものになりますように。
【心の奥にある「欠乏感」と向き合いたい方へ】
この記事を通して、もしあなたの中にも「満たされなさ」や「何かが足りない」という思いがよぎったなら、それは心からのサインかもしれません。
僕は「欠乏感」と丁寧に向き合いながら、内側から自分を理解し、受け入れていくためのサポートをしています。
苦しみを無理に消そうとするのではなく、共にその意味を見つけ、自由に生きる力を取り戻すことを目指しています。
もし今、「話してみたい」「整理したい」「一人では難しい」と感じていることがあれば、お気軽にご相談ください。
あなたのペースを大切にしながら、安心できる場を一緒につくっていけたらと思っています。
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