生きづらさの答えがわかる、人生哲学と心理学【欠乏学】

生きづらさを手放したい人の為のブログ

底辺人生から抜け出す「最初の一歩」の踏み出し方。自己受容という名のエンジンの掛け方

朝、目が覚めて一番に手が伸びるのはスマートフォン。

無意識にSNSを開けば、そこには眩しすぎる誰かの日常が溢れています。

 

同年代の活躍、華やかなキャリア、充実した家庭。

それらを眺めているとき、僕たちの心は「何も感じない」ように麻痺しています。

 

絶望や怒りといった強い感情すら湧いてこない、どんよりとした無感覚。

しかし、その静かな水面の下では「このままの自分ではダメだ」という、出口のない無価値観が澱のように溜まっていく。

そんな「底辺人生」の感覚に、胸を締め付けられている人は少なくありません。

 

世間はそんな僕たちを「能力が低い」とか「努力が足りない」という言葉で切り捨てます。

しかし、僕が提唱する「欠乏学」の視点に立てば、その景色は全く違って見えます。

あなたが動けないのは、あなたの能力が低いからではありません。

むしろ、あなたが自分自身を必死に守ろうとしている「防衛」の結果なのです。

 

僕たちは今、一つの大きな誤解を解く必要があると、今回の記事でお伝えできればと思います。

 

 

 

脳のリソースを食い潰す「見えないアラート」

人間が新しい行動を起こしたり、仕事で成果を出したりするためには、脳の「余剰エネルギー」が必要です。

ところが、過去のトラウマや、現在の過酷な環境によって「自分はここにいてはいけないのではないか」という不安に晒されているとき、僕たちの脳内では「生存アラート」が鳴り響いています。

 

このアラートは、生命が危機に瀕していることを知らせるための正常な機能。

しかし、これが鳴り止まない状態、いわば「戦時体制」に入ってしまうと、脳のリソースはすべて「どうやってダメージを最小限に抑えるか」という防衛に割り振られてしまいます。

 

ジャングルで猛獣に追いかけられているときに、将来のキャリアプランを考えられる人はいないでしょう。

それと同じことが、現代社会のストレスの中でも起きているのです。

「動けない」のではなく、これ以上の傷を負わないために、あなたの生命が「動かない」という選択を、必死に、そして正当に下しているだけなのです。

「悪く思われること」を受け入れたとき、扉が開く

かつての僕も、この防衛の迷路の中にいました。

正社員として働きたいという気持ちはあっても、いざ就職活動という場に出ようとすると、体が石のように動かなくなってしまう。

それは、自分のこれまでの「底辺人生」を直視し、他者からジャッジされることが怖くてたまらなかったからです。

 

自分の無価値さを証明されるような恐怖から、脳が全力で僕を「行動」から遠ざけていたのです。

 

そこから僕が一歩を踏み出せたのは、皮肉にも「諦め」に近い感覚でした。

「ああ、自分は悪く思われても仕方ないんだ」と、自分の不完全さ、情けなさを、そのまま受け入れた瞬間です。

 

「立派な自分」を見せようとする防衛を捨て、「今の僕は底辺で、他人から低く見積もられる存在だ。それでいいじゃないか」と自分に許しを出したとき、鳴り響いていたアラートがふっと静まりました。

防衛に割かれていたエネルギーが、ようやく「一歩踏み出すための燃料」へと変わったのです。

安全基地という名の「車」を手に入れる

ここで、多くの方が抱く疑問があります。

「でも、自分を認めたところで、現実にお金がなければ底辺のままだ」という反論です。

 

確かに、収入という物差しで見れば、結果が出ていない状態を底辺と呼ぶ現実は否定できません。

しかし、ここで「車と運転」の比喩を考えてみてほしいのです。

 

あなたが今、東京から群馬へ行こうとしているとします。

そのために必要なのは「車(移動手段)」と「運転(行動)」です。

ここで言う「車」こそが、僕が大切にしている「安全基地」という概念です。

 

「自分は、自分のままでいい」

「たとえ世界中の誰が否定しても、自分だけは自分の味方でいる」

 

そう自分を信じられる安心感が、心の車となります。

車を買っただけでは、もちろん群馬には到着しません。

ハンドルを握り、アクセルを踏むという「行動」が必要です。

 

しかし、車という基盤がなければ、どれほど必死に走ろうとしても、目的地にたどり着く前に疲れ果ててしまうでしょう。

 

多くの人は、車(安心感)がないまま、生身の体で高速道路を走ろうとして、傷つき、立ち止まっています。

そして「走れないのは自分の足が遅いからだ」と自分を責めている。

 

それは大きな間違いです。

あなたに必要なのは、足の筋力(能力)ではなく、自分という存在を預けられる「車(安全基地)」なのです。

自分という神殿に「安心」を調達する

では、周りに優しい人もおらず、経済的にも困窮している場合、どうやってその「車」を手に入れればいいのでしょうか。

 

もし、あなたの周囲に愛に溢れた人がいるなら、その人を頼ればいい。

でも、大抵の場合、そんな幸運な環境にはありません。

そうなったときに必要になるのは、神様でも、スピリチュアルなエネルギーでもありません。

 

「あなた自身が、あなたを信じること」です。

 

これは「自分には価値があると思い込む」といったポジティブシンキングではありません。

もっと泥臭く、もっと静かな決意です。

「たとえ何ができなくても、たとえ誰に蔑まれても、僕は僕を見捨てない」という、自分自身に対する「誠実さ」のことです。

 

あなたがあなたの「一番の理解者」であり「最強の防衛軍」になる。

外部の社会が定義する「普通名詞としての正解(いい年して正社員でなければならない、等)」を一旦すべてゴミ箱に捨てて、自分という「固有名詞」の輪郭を抱きしめるのです。

どんな生き方をしていてもいい

「能力がない」と自分を責めてしまうのは、あなたがそれだけ「社会の役に立ちたい」「認められたい」と願う、心の優しい人である証拠でもあります。

その優しさが、今は自分を突き刺す刃になってしまっているだけなのです。

 

欠乏学という視点を持つことで、世界の見え方は劇的に変わります。

 

「ああ、僕は今、防衛しているんだな」

「脳が僕を守るために、一生懸命アラートを鳴らしてくれているんだな」

 

そう思えるだけで、自分を責めるエネルギーは確実に減っていきます。

そして、防衛の呪縛が解けたとき、あなたは驚くほど自然に、自分の人生のハンドルを握れるようになるはずです。

 

最後に、これだけは伝えておきたい。

 

目的地に早く着くことが、人生の目的ではありません。

高性能な車に乗ることが、人間の価値でもありません。

 

たとえ今、どこにも行けずに駐車場で動けなくなっていたとしても。

たとえ、ボロボロの車でノロノロと走っていたとしても。

「どんな生き方をしていてもいい」のです。

 

あなたが今、息をしている。

自分を守りながら、今日まで生き延びてきた。

その事実だけで、あなたはもう、十分に勝利しています。

その自分を許せたとき、あなたの本当の物語が、静かに、しかし力強く動き始めるでしょう。

 

 

 

まとめ

人生の停滞は、能力の不足ではなく「心の安全保障」が脅かされているサインです。

まずは、外側の物差しで自分を測るのをやめ、自分の中に「絶対に自分を裏切らない安全基地」を築いてください。

車が用意できれば、道は自ずと拓けていきます。

焦る必要はありません。

あなたの歩幅で、あなたの人生を始めていいのです。

 

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