生きづらさの答えがわかる、人生哲学と心理学【欠乏学】

生きづらさを手放したい人の為のブログ

損得勘定で繋がった「人脈」を捨てたとき、僕は初めて一生モノの「友達」に出会えた

ふとカレンダーを見返して、ため息をつくことがあります。

休日はいつも一人で出かけているか、あるいは気づけば「仕事仲間」とばかり一緒にいる。

プライベートな時間を共有しているはずなのに、会話の内容は常に仕事やキャリア、これからのビジョンといった「生産的な話」ばかり。

 

そんな自分に気づいたとき、僕は言いようのない寒々しさを感じていました。

 

僕には、友達と呼べる人が一人もいないのではないか。

そんな不安が、胸の奥底で小さな「欠乏感」のアラートを鳴らし続けていたのです。

 

僕たちはいつから、人間関係にまで「効率」や「メリット」を求めるようになってしまったのでしょうか。

かつて僕が陥っていたのは、相手を「自分を成長させてくれる教材」や「仕事にプラスになる資産」として見てしまうという、傲慢で孤独な檻でした。

しかし、そこから抜け出す鍵は、意外にも僕自身の「不完全さ」を許すことにあったのです。

 

 

 

メリットで繋がった関係が「砂の城」のように崩れる理由

以前の僕は、誰かと会うかどうかを決めるとき、無意識に「その人と会うメリット」を天秤にかけていました。

自分より優秀な人、自分に新しい視点をくれる人、あるいは自分の事業に利益をもたらしてくれる人。

そんな「スペック」の高い人たちと繋がることが、自分の価値を高めることだと信じて疑わなかったのです。

 

しかし、そうして築き上げた関係は、驚くほど脆いものでした。

一時は盛り上がっても、情緒的なつながりがないため、利害関係が薄れれば霧のように消えていく。

残るのは、人脈という名の「記号」だけで、心の中に温かな火が灯ることはありませんでした。

 

結局、僕がつながりを増やそうと必死になればなるほど、心はますます孤立していきました。

なぜなら、相手を「価値の物差し」で測っているとき、僕自身もまた、相手から「価値の物差し」で測られる対象でしかなかったからです。

そこには、ただ一人の人間として、弱さや愚かさをさらけ出せる余白など、一ミリも存在しなかったのです。

フリーター時代の先輩が教えてくれた「情緒的つながり」の正体

そんな僕の凝り固まった価値観を解きほぐしてくれたのは、ある「かつての仲間」の記憶でした。

それは、僕がフリーターとして働いていた頃の先輩です。

 

その先輩と僕は、目指している人生のビジョンも、社会的な立場も、全く違いました。

端から見れば、今の僕にとってその先輩と会うことに「実利的なメリット」はないのかもしれません。

しかし、ふと思い返してみれば、僕たちは長い間一緒に働き、ただ「一緒にいて楽しい時間」を積み重ねてきました。

 

そこにあったのは、共通の目標でもなければ、高め合うライバル心でもありません。

ただ、同じ空間を共有し、たわいもないことで笑い、互いの存在を当たり前のものとして受け入れる「情緒的な交感」でした。

 

「相手がダメであろうと、アホであろうと、何であろうと、それは友達としての必要条件ではなかった」。

この気づきは、僕にとって革命的なものでした。

友情とは、スペックの掛け算ではなく、すべての条件を削ぎ落とした後に残る「ただの、あなた」と「ただの、僕」の響き合いだったのです。

自分軸という「折れない盾」が他者の受容を可能にする

ここで一つ、僕たちの心に巣食う「恐怖」について触れておかなければなりません。

それは、「損得を考えずにダメな奴とつるんでいたら、自分もダメになってしまうのではないか」という不安です。

 

多くの人が、自分を高めてくれる「意識の高い環境」に身を置きたがるのは、この恐怖の裏返しです。

しかし、欠乏学の視点から言えば、それは「自分軸(アイデンティティ)」が確立されていないがゆえの脆さなのです。

 

自分の軸がしっかりとしていれば、目の前の相手がどんな生き方をしていようと、それに振り回されたり、負の影響を受けたりすることはありません。

むしろ、「あなたはあなたで良い、私は私で良い」と、相手の不完全さを丸ごと受容する余裕が生まれます。

 

この「相手をジャッジしない姿勢」こそが、実は最強の自立へと繋がっています。

他者を評価の物差しで測ることをやめるということは、自分自身を評価の物差しで縛り付けるのをやめることと同義だからです。

他者の不完全さを許せるようになったとき、僕たちはようやく、自分自身の「欠乏」や「弱さ」を、誰に頼ることなく自分自身で抱きしめることができるようになるのです。

沈黙さえも愛おしい「要求のない空間」という安全基地

全ての価値指標を取り払った「情緒的なかかわり」が成立している空間。

そこには、澄み切った、それでいて温かな空気が流れています。

 

そこでは、お互いがお互いを測っていません。

同じ世界を生きていない者たちが、たまたま同じ空間を共有し、ただ「感情」だけで結びついている。

そこには「何かを教えてほしい」「自分を認めてほしい」といった、相手に対する一方的な要求が存在しません。

 

たとえ長い沈黙が流れても、それを埋めようと焦る必要もありません。

くだらない冗談で笑い転げた数分後に、人生の深い悲しみについてボソッと呟いてもいい。

そんな「要求のない居心地の良さ」こそが、僕たちが外界の戦いで傷ついた心を癒やす、唯一の「安全基地」となるのです。

 

社会という戦場で戦うためには、鎧が必要です。

しかし、二十四時間鎧を着たままでは、心はいつか壊れてしまいます。

僕たちが本当に必要としていたのは、成長のための武器を授けてくれる師匠ではなく、ただ鎧を脱いで「アホな自分」に戻らせてくれる、そんな友達の存在だったのではないでしょうか。

 

 

 

まとめ

もしあなたが今、以前の僕と同じように「本当の友達がいない」と孤独を感じているのなら。

あるいは、人間関係の損得勘定に疲弊し、心が砂漠のように乾いているのなら。

 

一度、その手に持っている「物差し」を地面に置いてみてください。

自分を、そして相手を「何ができるか」で測るのをやめてみてください。

 

友達とは、作るものではなく、損得を捨てた先に「ふと残っているもの」です。

あなたが自分の不完全さを許し、相手のダメさを笑って受け入れられるようになったとき、世界は「利用価値のある他人」の集合体から、「愛すべき人々」が暮らす温かな場所に変わるはずです。

 

その最初の一歩は、自分自身にこう言ってあげることから始まります。

 

「僕は、何者でもない、ただの僕でいい」

 

そう確信できたとき、あなたの目の前にいる「アホな誰か」が、かけがえのない宝物に見えてくるはずです。

 

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