生きづらさの答えがわかる、人生哲学と心理学【欠乏学】

生きづらさを手放したい人の為のブログ

生きることが不安なあなたへ|不確実な人生で安心がなくても生きられる方法

 

不確実な世界で「安心がなくても生きられる自分」になるという選択

将来のことを考えたとき、理由もなく胸がざわついた経験はないでしょうか。

今は大きな問題が起きているわけではないのに、どこか落ち着かない。

このままで本当に大丈夫なのか、何か見落としているのではないか。

僕自身、何度もそうした感覚に襲われてきました。

 

特に何かに挑戦しているとき、不確実性は容赦なく押し寄せてきます。

先が見えないこと、正解が分からないこと、誰にも保証してもらえないこと。

それらは、静かに、しかし確実に心を削っていきます。

 

おそらくこの記事を読んでいるあなたも、「安心したいのに、安心できない」そんな矛盾の中で生きているのではないでしょうか。

 

 

 

人は安心を求める生き物なのに、世界は不確実すぎる

僕たちは本能的に安心を求める生き物です。

生活が安定しているか、人間関係は大丈夫か、将来は見通せるか。

これらはすべて、生き延びるために必要な感覚でもあります。

 

しかし現実はどうでしょうか。

人生は不確実性に満ちています。

 

明日、何が起きるかは分からない。

他人の気持ちはコントロールできない。

どれだけ準備しても、想定外は必ず起こる。

 

それでも僕たちは、「いつか安心できる状態に辿り着こう」と頑張り続けてしまいます。

ですが、ここに一つの落とし穴があります。

不確実な世界で「完全な安心」を手に入れようとすること自体が、僕たちを不安に追い込み続けているのではないか、という点です。

何も分からない中で事業を始めたとき、僕は不安に振り回されていた

僕がこのことを痛感したのは、会社で新規事業を立ち上げを任されたときでした。

正直に言えば、分からないことだらけ。

 

何が正解なのかも分からない。

この判断で合っているのかも分からない。

周りは前に進んでいるように見えるのに、自分は常に後追いの対応ばかり。

 

そのとき僕が強く感じていたのは、焦燥感です。

遅れている感覚、追いつけていない感覚、

何か大切なものを取り逃しているような感覚。

 

不安をなくそうとして、情報を集め、正解を探し、失敗しない道を必死に探しました。

しかし、どれだけ探しても「これなら絶対安心だ」と言えるものは見つかりませんでした。

むしろ、不確実性を消そうとすればするほど、不安は大きくなっていったのです。

不安を消す生き方から、不安を前提にした生き方へ

ここで僕は、一つの考え方に行き着きました。

人生全般に言えることですが、不確実性はどうしたってなくならない。

 

であれば、不安を感じないように生きるのではなく、不安を前提にした生き方にシフトするしかないのではないか、と。

 

これは「諦め」ではありません。

むしろ、不安と戦うのをやめるという選択です。

 

不安が出てくるたびに、

 

「感じてはいけない」

「弱い自分はダメだ」

 

と否定するのではなく、「不安が出るのは当然だ」と受け止める。

この切り替えが、僕の生き方を大きく変えました。

欠乏学から見ると、不安は異常ではない

ここで、僕が提唱している「欠乏学」の視点を紹介します。

 

欠乏学では、不安を「排除すべき感情」ではなく、生命維持のために備わった自然な反応として捉えます。

 

将来が見えないときに不安を感じるのは、安全の欠乏が刺激されているから。

 

つまり、不安とは「あなたが弱いから生まれるもの」ではなく、「あなたが生きようとしている証拠」なのです。

問題は、不安が出ることそのものではありません。

不安に飲み込まれ、思考や行動が止まってしまうことです。

 

成熟とは、不安がなくなることではなく、不安があっても選択できる状態になること。

欠乏学では、その状態をとても重要視します。

個別の出来事に慣れようとすると、人は疲れ果てる

多くの人は、こう考えます。

 

「失敗に慣れればいい」

「この不安を乗り越えれば、次は大丈夫だ」

 

しかし人生は、そんなに親切ではありません。

一つ乗り越えたと思ったら、また別の形で不確実性が現れます。

 

仕事の不安を越えたら、人間関係の不安が出てくる。

恋愛の不安を越えたら、お金の不安が出てくる。

 

これをすべて個別に処理しようとすると、人はいつか疲れ果ててしまいます。

だからこそ必要なのが、抽象度を上げることになるのです。

「不確実な出来事」ではなく、「不確実性に反応する自分」に慣れる

重要なのは、どんな不確実な出来事にも耐えられる自分になることです。

 

それは、不安を感じなくなることではありません。

不安に対して、強い抵抗を示さずに壁を処理できるようになることです。

 

不安が出てきたときに、「またこれか」と観測できる。

揺れながらも、今できる行動を選べる。

 

この状態になると、不確実性は脅威ではなくなります。

扱えるものに変わるのです。

 

安心があるから動けるのではなく、安心がなくても動ける自分になる。

これは、非常に静かですが、強い変化です。

不安と共に生きることを、どうか恐れないでほしい

最後に、この記事を読んでいるあなたへ伝えたいことがあります。

 

不安と共に生きることを、どうか恐れないでください。

不安があるからといって、あなたが未熟なわけではありません。

 

そして何より、あなたはその不安を乗り越えられます。

正確に言えば、不安を消し去るのではなく、不安を抱えたまま、生き続けることができます。

 

それは特別な才能ではありません。

不確実な世界を生きる、人間としての力です。

 

 

 

まとめ

生きることが不安なのは、あなたが真剣に生きているからです。

不確実性はなくなりません。

だからこそ、安心を求めすぎる生き方から、不安を前提にした生き方へと、少しずつ視点を変えてみてください。

 

欠乏学は、不安を否定しません。

不安を「生命維持の機能」として捉え、その上で、どう生きるかを考える学問です。

不安があるままでも、人は成熟できます。

そして、安心がなくても、生きていけます。

 

この文章が、不確実な世界を生きるあなたの、一つの支えになれば嬉しいです。

 

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