生きづらさの答えがわかる、人生哲学と心理学【欠乏学】

生きづらさを手放したい人の為のブログ

なぜ「正しい人」ほど報われないのか──未熟な社会で正しく生きるということ



職場や組織の中で、「それは人としておかしいだろう」と感じる行為を目にしたことはありませんか。

あるいは、誰かの棘のある言動や、不誠実な対応に違和感を覚え、勇気を出して声を上げたのに、なぜか状況は改善されず、むしろ自分だけが疲弊してしまった、そんな経験はないでしょうか。

 

「正しいことをしたはずなのに、なぜこんなに虚しいのだろう」

「もしかして、自分の価値観のほうが間違っているのだろうか」

 

そんなふうに、怒りと悲しみが入り混じった感情に戸惑ったことがある人は、決して少なくないと思います。

僕自身、まさにその感情の中に立たされた経験があるのです。

 

 

 

 

組織の中で、「人としての正しさ」が守られないとき

僕はある組織の管理を担う立場にあります。

そこで起きたのは、業務上のトラブルそのものよりも、「人として正しくない行為」が野放しにされている現実でした。

 

緊急対応が必要な場面で、現場の事情を理解しようとせず、感情のままに他者へ棘を向ける。

しかも、その言動によって現場の人が疲弊し、実際に辞めていく人が出ているにもかかわらず、立場の上の人間は問題に正面から向き合おうとしない。

 

僕はそれを見過ごすことができず、「内容以前に、コミュニケーションの取り方を正してほしい」と訴えました。

誰かを攻撃したかったわけではありません。

ただ、人としての最低限の誠実さが守られる環境であってほしかったのです。

 

しかし返ってきたのは、問題を是正する行動ではなく、「関わらせないようにする」という回避的な対応。

 

その瞬間、胸に込み上げてきたのは怒りでした。

けれど、しばらくして気づいたのは、その怒りの奥に、深い悲しみがあったということです。

僕は怒っていたのではなく、悲しかった

なぜ、ここまで感情が揺れたのか。

振り返ってみると、それは「自分が正しいと思って生きてきた価値観」が、軽く扱われた感覚だったのだと思います。

 

僕は、自分にできる最善の行動を取りました。

感情的にならず、状況を整理し、改善のための要望を丁寧に伝えた。

それでもなお、問題から目を逸らされてしまった。

 

そのとき心に生まれたのは、「理解してもらえなかった悔しさ」でした。

そして同時に、「もしかして、自分の正しさは社会では通用しないのではないか」という不安です。

 

ただ冷静に考えれば、僕自身の安全や立場が脅かされたわけではありません。

だからこそ、この苦しさは単なる怒りでは説明できなかった。

 

気づいたのは、正しさが報われないという体験は、自分の存在そのものが否定されたように感じさせる、ということでした。

正しく生きるとは、人として愛を持って生きること

僕が大切にしているのは、「人として愛を持って生きる」という姿勢です。

それは甘さではありません。

むしろ、逃げずに向き合うという、かなり厳しい態度です。

 

問題が起きたとき、誰かを悪者にして終わらせるのではなく、なぜそうなったのか、どうすれば同じことが起きないのかを考える。

そのプロセスを放棄しないことこそが、組織に対する愛だと僕は思っています。

 

だからこそ、問題改善から逃げられたとき、「どうして理解できないんだ」という悔しさが残りました。

それは相手を見下しているからではありません。

むしろ逆で、同じ地点に立って考えられるはずだと、どこかで信じていたからこそ生まれる感情です。

それでも僕は、自分の正しさを疑わない

ここまで書いておいて、僕はこう断言します。

僕は自分の正しさを疑いません。

人それぞれに正しさが違うことは理解しています。

しかし同時に、「その正しさが正しくない」と感じる場面があるのも事実です。

 

問題から目を逸らす正しさ。

摩擦を避けることを最優先にする正しさ。

 

それらは一見、賢く見えるかもしれませんが、結局は未熟さや欠乏から生まれた回避でしかない場合もあります。

正しさを正しいと認められない人がいる。

その現実は変わりません。

それでも、自分が正しいと思う生き方を曲げないこと。

それは傲慢ではなく、自分の価値観に対する責任だと僕は思っています。

 

 

 

まとめ

正しく生きるということは、ときに孤独です。

理解されないこともあります。

報われないこともあります。

 

けれど、正しさを手放してまで得る安心や居場所は、どこかで必ず自分を削ります。

 

もし今、あなたが「自分は正しすぎるのかもしれない」「この世界は未熟すぎるのかもしれない」そんな思いを抱えているなら、こう伝えたいです。

 

その孤独は、あなたが間違っている証拠ではありません。

むしろ、真剣に人と向き合ってきた証です。

 

正しさは、孤独を生む。

でも、その孤独は、誇っていい。

僕はこれからも、自分が正しいと思う生き方を続けます。

たとえ理解されなくても、愛を持って、逃げずに向き合う。

それが、僕なりの「正しく生きる」ということだからです。

 

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