
「昔の人はもっと頑張っていたのに、自分はなぜこんなに動けないんだろう」
「やる気を出さなきゃと思うほど、身体が重くなる」
「甘えているだけなんじゃないか、と自分を責めてしまう」
こんな感覚を、心のどこかで抱えたことはありませんか。
周りを見渡すと、ちゃんと働いている人もいる。
目的を持って生きている人もいる。
それなのに、自分はなぜか前に進めない。
僕自身、目的を持って動いている立場だからこそ、周囲にいる「無気力に見える人たち」を見て、長い間、違和感を抱いていました。
怠けているようにも見える。
でも、どこか違う。
本当にそれだけなのだろうか。
そこから考え始めたことが、この記事の出発点です。
今回は僕の考えをまとめた1つの仮説をご紹介します。
昭和は「頑張らないと生きられない」時代だった
まず、昭和という時代を冷静に振り返ってみます。
昭和、とくに戦後から高度経済成長期にかけての日本は、今とは比べものにならないほど、生活の土台が不安定でした。
食べるものがない。
住む場所がない。
仕事を失えば、生活はすぐに立ち行かなくなる。
つまり、頑張らない= 生きられないという構造が、非常にわかりやすく存在していたのです。
さらに、頑張れば状況は良くなった。
働けば賃金が上がり、家が建ち、家族を養えた。
ここで重要なのは、努力が「生存」と「承認」を同時に満たしていたという点です。
長時間働くこと。
苦労を重ねること。
修羅場をくぐること。
それらは単なる労働ではなく、「人として価値がある」という証明でもありました。
昭和においては、生理的な欠乏をどれだけ乗り越えたかが、精神的なステータスだった
と言っても過言ではありません。
現代はどうか
では、現代はどうでしょう。
極端な話、今日働かなくても、明日いきなり餓死する人はほとんどいません。
コンビニは24時間開いている。
最低限の衣食住は制度やインフラで守られている。
生きること自体は、かなり安定しました。
ここで、多くの人がこう考えます。
「だから若者は頑張らなくなった」
「苦労を知らないからだ」
でも、僕はそれだけでは説明が足りないと思っています。
なぜなら、人は生きるだけで満足できる生き物ではないからです。
本当の変化は「精神的欠乏の満たし方」にある
人が動く理由は、生理的な欲求だけではありません。
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どこかに所属したい
-
誰かに認められたい
-
自分には価値があると感じたい
こうした「精神的な欠乏」は、時代が変わっても消えていません。
では、その満たし方はどう変わったのか。
ここで登場するのが、SNSです。
SNSによって、
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つながっている感覚
-
誰かに見られている感覚
-
反応が返ってくる安心感
が、驚くほど低コストで手に入るようになりました。
しかもそれは、
-
長時間働かなくてもいい
-
経済的成功がなくてもいい
-
大きなリスクを背負わなくてもいい
という特徴を持っています。
昭和では、精神的な承認を得るために、生理的な努力を積み重ねる必要がありましたが、今は精神的欠乏を、努力を経由せずに満たせてしまう時代に入っているのです。
「頑張らない若者」の正体
この構造を踏まえると、「頑張らない若者」はまったく違って見えてきます。
彼らは怠けているのではありません。
努力が不要だと学習しているわけでもありません。
ただ、「頑張らなくても、心はある程度満たせてしまう」という環境の中にいるだけなのです。
だから、
-
なぜそこまで苦労する必要があるのか分からない
-
なぜ命を削るように働くのかピンとこない
そう感じるのは、ある意味、とても自然な反応です。
問題は、その満たされ方が表層的で不安定だという点にあります。
SNSの承認は、消えるのも早いし、比較も激しいし、他者に依存しやすい。
満たされているはずなのに、なぜか虚しい。
なぜか不安が消えない。
この感覚に、覚えはありませんか。
それでも「時代のせい」にしてはいけない理由
ここで、ひとつ大事なことを伝えたい。
この記事は、「頑張れないのは全部時代のせいだ」と言いたいわけではありません。
確かに、時代の構造は影響しています。
でも、だからといって、何も考えず流されていいわけではない。
むしろ大切なのは、「自分は今、どの欠乏を、どの手段で満たしているのか」を自覚することです。
SNSで得ている承認は、本当に自分を支えているのか。
それとも、一時的に麻痺させているだけなのか。
その問いを持たないままでは、どれだけ時間を使っても、深い充足にはつながりません。
まとめ
最後に、「頑張れない自分」を責めている人へ。
まず知ってほしいのは、その感覚は、あなた一人の問題ではないということです。
時代は確実に変わりました。
欠乏の形も、満たし方も変わりました。
だから、昭和と同じように動けないからといって、あなたの価値が低いわけではありません。
ただし、満たされ方を選び直すことはできます。
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何に心が反応しているのか
-
何が本当に足りていないのか
-
どこからなら現実に手を伸ばせそうか
それを静かに見つめ直すところから、次の一歩は始まります。
頑張れない自分を否定する必要はありません。
でも、理解したうえで、どう生きるかを考える責任は、自分にあります。
この記事が、そのための「視点」を渡せていたら、僕はとても嬉しいです。
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