
こんな経験はありませんか。
一生懸命やったのに、結果が出なかった。
良かれと思ってしたことが、裏目に出てしまった。
その瞬間、周囲から責められたり、自分自身を強く責めてしまったりして、「もう何もしたくない」と心を閉ざしてしまったこと。
あるいは、誰かの行動を見て「やり方が間違っている」「結果を出せていない」と感じ、つい厳しい言葉を向けてしまった経験はありませんか。
その後で、相手の落ち込んだ表情を見て、胸の奥がチクリと痛んだことはないでしょうか。
僕たちは日常の中で、あまりにも「結果」を重視する世界に生きています。
成果、効率、正解、不正解。そうした分かりやすい指標で人や行動を評価することに慣れすぎてしまい、その行動がどんな動機から生まれたのかを、立ち止まって考える余裕を失っているように思うのです。
だからこそ、僕はこう思うようになりました。
動機を見れる人でありたい、と。
結果がどうであれ、その行動の根っこに「誰かのために」という想いがあったのなら、その美しさを抱きしめられる人でありたい。
この記事では、なぜ僕がそう考えるようになったのか、そして動機に目を向ける生き方が、どんなふうに僕たち自身を救ってくれるのかを、具体例を交えながら綴っていきます。
- 人はなぜ、結果だけで人を裁いてしまうのか
- 結果で否定されると、人は自分の価値まで疑ってしまう
- 結果を正すことと、動機を否定することは別
- 動機を見ることは、甘やかしではなく成長の土台
- 他人だけでなく、自分自身の動機も見てあげる
- まとめ
人はなぜ、結果だけで人を裁いてしまうのか
人は結果で裁かれやすい生き物です。
仕事でも、家庭でも、恋愛でも、評価されるのは「何をしたか」「どんな成果を出したか」です。
たとえば職場で、ある人が新しい提案をしたとします。
しかしその提案は採用されず、むしろ混乱を招いてしまった。
すると、「余計なことをするな」「考えが浅い」といった言葉が向けられることがあります。
けれど、その人は何を思ってその提案をしたのでしょうか。
職場を良くしたい、誰かの負担を減らしたい、チーム全体が楽になる方法を探したい。
そんな動機があったのかもしれません。
結果だけを見れば失敗でも、動機まで見れば、その行動は決して無価値ではないはずです。
結果で否定されると、人は自分の価値まで疑ってしまう
それなのに、僕たちは結果だけで判断してしまう。
そして、判断される側に回ったとき、自分自身を激しく責めます。
「役に立てなかった自分はダメだ」「迷惑をかけた自分には価値がない」。
そんなふうに、自分の存在そのものまで否定してしまう人は少なくありません。
僕もそうでした。
良かれと思ってした行動が空回りし、相手を困らせてしまったことがあります。
そのときに返ってきたのは、「考えれば分かるでしょ」という冷たい一言でした。
確かに結果だけ見れば、僕の行動は未熟だったと思います。
でも、誰かの役に立ちたいという気持ちまで否定されたように感じて、胸が苦しくなりました。
結果を正すことと、動機を否定することは別
この経験から、僕は強く思うようになったのです。
結果を正すことと、動機を否定することは、本来まったく別だ、と。
結果が悪かったなら、やり方を修正すればいい。
学べばいい。
反省すればいい。
しかし、その行動の根底にあった「誰かのために」という想いまで切り捨ててしまったら、人は前に進めなくなります。
挑戦する勇気も、他者を思いやる気持ちも、少しずつ削られていってしまうからです。
動機を見ることは、甘やかしではなく成長の土台
動機を見るというのは、甘やかすことではありません。
よく誤解されますが、「動機が良ければ結果はどうでもいい」という話ではないのです。
結果と向き合うことは大切ですし、責任を取る必要もあります。
ただ、そのときに「なぜそうしたのか」という動機まで一緒に見つめられるかどうかで、人の成長の仕方は大きく変わります。
たとえば、子育ての場面を想像してみてください。
子どもが失敗したとき、「なんでこんなことしたの!」と結果だけを責められ続けたら、子どもはどうなるでしょうか。
失敗を恐れ、挑戦しなくなり、本音を隠すようになるかもしれません。
一方で、「どうしてそうしようと思ったの?」と動機に耳を傾けてもらえたらどうでしょう。
たとえ行動自体は間違っていても、「誰かを助けたかった」「喜ばせたかった」という気持ちが受け止められたら、子どもは安心して学ぶことができます。
そして次は、より良いやり方を考える力が育っていきます。
これは大人同士の関係でも同じです。
恋愛でも、友人関係でも、すれ違いが起きたときに注目すべきなのは、表に出た言動だけではありません。
その奥にある不安、愛情、守りたい気持ち、認めてほしい想い。
そうした動機を見ようとする姿勢が、関係を壊すか、深めるかを分けます。
たとえば、子育ての場面を想像してみてください。
子どもが失敗したとき、「なんでこんなことしたの!」と結果だけを責められ続けたら、子どもはどうなるでしょうか。
失敗を恐れ、挑戦しなくなり、本音を隠すようになるかもしれません。
一方で、「どうしてそうしようと思ったの?」と動機に耳を傾けてもらえたらどうでしょう。
たとえ行動自体は間違っていても、「誰かを助けたかった」「喜ばせたかった」という気持ちが受け止められたら、子どもは安心して学ぶことができます。
そして次は、より良いやり方を考える力が育っていきます。
これは大人同士の関係でも同じです。
恋愛でも、友人関係でも、すれ違いが起きたときに注目すべきなのは、表に出た言動だけではありません。
その奥にある不安、愛情、守りたい気持ち、認めてほしい想い。そうした動機を見ようとする姿勢が、関係を壊すか、深めるかを分けます。
他人だけでなく、自分自身の動機も見てあげる
そして何より大切なのは、他人だけでなく、自分自身の動機を見ることです。
結果が出なかったとき、失敗したとき、僕たちは一番厳しい裁判官になって、自分を断罪してしまいます。
でも、もしその行動の動機が「誰かのため」「より良く生きたい」というものだったのなら、その心まで否定する必要はないはずです。
僕は、自分に対しても動機を見れる人でありたいと思っています。
うまくいかなかった過去を振り返るとき、「結果は出なかったけれど、あのときの僕は必死だった」「誰かを大切にしようとしていた」と言ってあげられる自分でいたいのです。
動機を見る視点を持つと、世界の見え方が変わります。
他人に対して少し優しくなれますし、自分に対しても少し寛容になれます。
完璧じゃなくてもいい。
未熟でもいい。
それでも、誰かのために動こうとした心には、確かな価値があると信じられるようになります。
結果だけで評価されることに疲れてしまった人もいるでしょう。
頑張っているのに報われないと感じている人もいるかもしれません。
もし今、心が折れそうになっているなら、どうか自分の動機を思い出してみてください。
なぜそれをやろうと思ったのか。
何を大切にしたかったのか。
そこに「誰かのために」という想いがあったのなら、それは胸を張っていい美しさです。
たとえ結果が伴わなかったとしても、その心はあなたの人生を確実に前に進めています。
まとめ
僕は、動機を見れる人でありたい。
結果だけで人を裁かず、行為の奥にある想いに手を伸ばせる人でありたい。
そして、誰かのために動いた自分自身の心も、そっと抱きしめられる人でありたいと思っています。
それはきっと、強さではなく、深さなのだと思うのです。
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