
自己理解という言葉をよく聞きますが、実際にはとても曖昧な概念です。
「自分を知ること」と言われても、いったい何をどこまで知れば“理解した”と言えるのでしょうか。
僕自身、長い間「自分の気持ちが分からない」という感覚を抱えてきました。
嬉しいのか悲しいのか、怒っているのか、それともただ疲れているのかさえ曖昧で、「自分が今どうしたいのか」も掴めない時期があったりもして。
そんな時にふと浮かんだ比喩があるんです。
自己理解とは、暗闇の中に照明を当てるようなものだ。
心の中には、光の届かない暗い場所があります。
そこには、見たくない感情や、認めたくない本音、過去の痛みなどが押し込められています。
僕たちはそれらを「抑圧」という形で隠し、表面的には何もないように振る舞う。
けれど、その暗闇の中にある感情たちは、閉じ込められたまま暴れ続けているのです。
- 抑圧という名の暗闇
- 光を当てるとは、「認めること」
- 感情を押し込めるほど、人生は歪んでいく
- 光を当てるステップ①:感じる許可を出す
- 光を当てるステップ②:感情を言語化する
- 光を当てるステップ③:受け止めて、癒す
- 自己理解は「整える」ことではなく「照らす」こと
- まとめ
抑圧という名の暗闇
「抑圧」というのは、心理学で言えば“意識に上ると苦痛を伴う感情や欲求を無意識に押し込める”心の防衛機制です。
たとえば、子どもの頃に親から「泣くな」と言われ続けてきた人は、悲しみの感情を表に出すことを避けるようになります。
悲しい時でも「大丈夫」と笑い、平然を装う。
すると、その悲しみは「なかったこと」になります。
しかし、実際には消えていません。
抑圧された感情は、心の暗闇の中で形を変え、別の形で現れます。
たとえば
-
「人の涙を見ると妙にイライラする」
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「誰かが弱音を吐くと、助けたいよりも否定したくなる」
-
「何もないのにモヤモヤして落ち着かない」
こうした反応は、暗闇の中で暴れている感情の“影”です。
悲しみを抑え込んだ人は、他人の悲しみに過剰反応し、怒りを抑え込んだ人は、優しさの仮面を被りながら、無意識に自分を傷つける選択をしてしまう。
暗闇に光を当てずにいる限り、僕たちはその影に振り回され続けてしまうのです。
光を当てるとは、「認めること」
では、暗闇に光を当てるとはどういう行為でしょうか。
それは「自分の感情を正確に感じ取り、否定せずに認めること」です。
ここでのポイントは、“理解すること”よりも“認めること”が先だという点です。
多くの人は「なぜ自分はこう感じるのか」を分析しようとしますが、実はその前にすべきことがあります。
それは、「ああ、自分は今悲しいんだ」「本当は寂しかったんだ」と、ただ受け止めること。
たとえば、誰かに無視された時に生まれた怒り。
その怒りの裏には、「認めてほしかった」「大切にされたい」という寂しさや不安が隠れていることが多いです。
怒りを「悪い感情」として抑え込むのではなく、「ああ、自分は寂しかったんだ」と光を当ててあげる。
その瞬間、心の中で起きていた暴れが静まります。
暗闇の中で暴れていた感情たちは、光を当てられた瞬間、初めて安心するのです。
まるで、「やっと気づいてもらえた」と言わんばかりに。
感情を押し込めるほど、人生は歪んでいく
僕たちは往々にして「ネガティブな感情=悪いもの」と思い込みがちです。
怒りや嫉妬、寂しさ、劣等感など、そういった感情を感じる自分を否定して、「こんなことで悩んでいる自分が情けない」と思ってしまう。
しかし、そうして抑え込むほど、人生は歪んでいきます。
本音を押し殺すことで、行動が他者基準になり、「本当はしたくないこと」にエネルギーを注ぐようになるからです。
たとえば、会社で理不尽なことをされても怒れない人。
それは「怒ってはいけない」という暗黙のルールを内面化しているからかもしれません。
でも、怒りというのは「自分の大切なものを守るためのサイン」です。
それを抑えるということは、自分を守る力を失うことでもある。
感情を押し込めるとは、自分の中の警報機を無視すること。
やがて心の中の警報は鳴りやまず、ストレスや体調不良、対人関係のすれ違いなどの形で現れます。
僕たちはその“結果”だけを見て苦しみ、「なぜうまくいかないのか」と悩みますが、本当の原因は暗闇の中にあるのです。
光を当てるステップ①:感じる許可を出す
自己理解の第一歩は、「感じることを許す」ことです。
どんな感情であれ、感じてはいけないものは一つもありません。
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「怒ってはいけない」
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「泣くのは弱い人間だ」
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「嫉妬するなんて器が小さい」
こうした思考はすべて、自分の感情に蓋をする言葉です。
本当は怒っているのに「そんなに怒るほどのことじゃない」と抑える。
本当は泣きたいのに「泣いたって何も変わらない」と我慢する。
こうして“感じる許可”を出さない限り、心は永遠に暗闇の中に閉じ込められます。
僕が意識しているのは、「正しいかどうか」ではなく「感じているかどうか」を基準にすることです。
「怒る理由があるか」ではなく、「怒っているか」。
「悲しむべき状況か」ではなく、「悲しいか」。
このシンプルな問いを立てるだけで、感情に光が当たり始めます。
光を当てるステップ②:感情を言語化する
次に重要なのが、「感情を言葉にする」ことです。
言葉にすることで、漠然としたもやもやが輪郭を持ちはじめます。
おすすめなのは、日記やメモに「今、感じていること」をそのまま書き出すこと。
たとえば
「なんか疲れた」
「イライラする」
「誰にも分かってもらえない気がする」
こうしたつぶやきのような言葉からでも構いません。
書くことで、頭の中にあった感情が“外”に出て、少し距離が生まれます。
その距離が、自己理解のための「光の差し口」になるのです。
さらに一歩踏み込んで、「なぜそう感じたんだろう?」と自問してみると、感情の奥にある本音が見えてきたりします。
「イライラの裏には、寂しさがあった」
「寂しさの裏には、愛されたい気持ちがあった」
このように、表層的な感情の奥にある“深層的な欠乏”が見えてくると、感情の根を理解できるようになります。
光を当てるステップ③:受け止めて、癒す
感情を見つけたら、それを「どうすればなくせるか」ではなく、「どうすれば受け止められるか」を考える段階に移ります。
たとえば、「本当は寂しかった」と気づいたら、「そんな自分を責めずに、ただ寄り添う」ことが大切です。
僕はよく、「心の再養育」という言葉を使います。
それは、過去に満たされなかった自分の感情を、今の自分がもう一度抱きしめ直すということです。
「寂しかったね」「つらかったね」と、自分の中の小さな自分に声をかけるように。
この“自己受容”の瞬間に、暗闇の中の感情は静かに光を取り戻します。
それは消えるのではなく、温かく溶けていくような感覚です。
抑圧が解けていくと、心が少しずつ軽くなり、選択や行動にも変化が現れます。
自己理解は「整える」ことではなく「照らす」こと
多くの人が、自己理解を「自分を整えること」だと思っています。
けれど、実際は「整える前に照らすこと」が先です。
暗闇を照らす前に整理しようとしても、見えないものは整理できません。
まずは照らす。
光を当てて初めて、「ああ、ここにこんな感情があったのか」と気づけるのです。
そして照らした先に見つかるのは、欠点や弱さばかりではありません。
本当の望み、本当に大切にしたいもの、自分が心から愛せるものもまた、同じ暗闇の中に隠れているもの。
痛みと一緒に、光もそこにあるのです。
まとめ
僕たちは誰しも、心の中に暗闇を持っています。
それは恥ずかしいことでも、間違っていることでもありません。
暗闇があるということは、それだけ多くの感情を抱いて生きてきたという証拠です。
抑圧という名の暗闇に閉じ込めて光を当てずにいる限り、暗闇の中で感情は暴れ続けてしまうもの。
でも、光を当てた瞬間、それは敵ではなく“自分の一部”として受け入れられるようになります。
自己理解とは、自分を変えることではなく、自分を見つけ直すこと。
暗闇の中に照明を当てるように、そっと心を照らしてみてください。
きっとそこには、今まで見えなかったあなた自身の輪郭が、静かに浮かび上がるはずです。
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