部下の給料が上がって面白くなかった──そこから見えた、リーダーとしての成熟

「部下の給料が自分に近づいてきたとき、なんとなく面白くない気持ちになった。」

主任として働く僕は、あるときそんな感情を抱いていました。

 

基本給はぼちぼち。

そして、アルバイトの時給が上がり、部下はそれに少し届かないくらい。

差にしてわずか数万円。

「責任の重さを考えると、割に合わないな」と、心のどこかで思ってしまったのです。

でも、その“面白くなさ”をじっと見つめているうちに、僕は気づきました。

「面白くない」と感じたその瞬間こそ、リーダーとして成長するチャンスだったのだと。

 

この記事では、僕自身の経験をもとに「リーダーとしての成熟」について語ります。

特に、組織の中で人を導く立場にいる人(主任、店長、マネージャーなど)に届けたい内容です。

 

 

 

面白くないと感じた、あの一瞬の正体

最初にその感情が湧いたとき、僕は自分に驚きました。

「なんでそんな風に思うんだろう?」と。

 

部下が頑張っていることは知っている。

実際に成果も出してくれている。

それなのに、心の奥では「なんとなく面白くない」と感じてしまう。

 

このモヤモヤを分析してみると、それは「不公平感」と「承認欲求」が混ざった感情だったんです。

 

主任という立場は、責任もプレッシャーも重い。

ミスをすれば自分の責任。

部下のサポートも、上司との調整も、すべて自分が担う。

なのに、バイトとほとんど変わらない報酬。

 

その現実が、「僕の努力や責任は正当に扱われているのだろうか?」という“自己価値の扱われ方への違和感” を生み出していたんです。

「面白くない」は、悪ではない

多くの人は、こうしたネガティブな感情を否定したくなります。

でも、僕は「面白くない」と感じたこと自体は悪いことではないと思うようになりました。

 

むしろ、それは「理想のリーダー像」と「現実の自分」のギャップを照らし出す感情。

自分の中の価値観を見つめ直すチャンスです。

 

僕の場合、「リーダーとは部下を育てる存在であるべきだ」という理想があった一方で、「頑張った分だけ報われたい」という素直な気持ちもありました。

その二つが衝突したとき、心に「面白くない」という違和感が生まれたのです。

 

つまり、「面白くない」は未熟さの証ではなく、成熟へ向かうための通過点 だったのです。

リーダーとは、部下を“稼がせる”人

ある日、ふと思いました。

「いや待てよ。僕が主任として働く目的ってなんだ?」

それを考えたとき、僕の中に一つの答えが浮かんだのです。

 

「下の人たちがより多くの報酬をもらえるようにすることこそ、僕の仕事じゃないか?」

僕が責任を負い、仕組みを作り、現場を整える。

その結果、部下たちの給与が上がる。

それって、自分の成果が反映されている証でもあるんです。

そう考えた瞬間、「面白くない」という感情が一気に“誇らしさ”に変わりました。

 

だって、主任としての自分の仕事がうまくいっているということだから。

組織全体の底上げができている証拠だから。

 

つまり、「部下の給料が上がっている=僕がうまくやっている」

そう思えるようになったとき、僕はリーダーとして一段、心が成熟したのだと思います。

比較から解放された瞬間

人はどうしても「他者との比較」に反応してしまう生き物です。

特にお金や地位の話になると、その反応は顕著になります。

でも、比較を軸に生きる限り、心の平穏は訪れません。

誰かより上に立てば安心し、下に見れば焦る。

その繰り返しです。

僕が「部下と自分の報酬を比べていた」ときもそうでした。

頭では理解していても、心はつい“差”を見てしまう。

だけど、視点を「比較」から「貢献」に切り替えたとき、その心の揺れは不思議なほど消えていったんです。

「僕がうまくやるほど、みんなの暮らしがよくなる」

そう思えた瞬間、自分の存在価値を外の数字ではなく、内的な充足感から感じられるようになりました。

欠乏感と向き合うということ

心理的な側面から見ても、「面白くない」という感情はまさに承認の欠乏から来ています。

つまり、「自分の頑張りが正しく評価されていない」「自分の立場に見合った扱いを受けていない」と感じるとき、人は承認を求めてしまう。

けれど、その承認を外側(上司や給与)に求める限り、心の平穏は外部要因に左右され続けます。

 

だから大切なのは、「自分が何を成しているか」に意識を戻すこと。

僕は、自分が自由に動けるようにするために、そして部下を動かしやすくするために、
管理職という立場を必要としていました。

 

それは支配ではなく、創造のための権限。

つまり、「自分のやりたいことを実現するための器」なんです。

だからこそ、その器の中で「部下が報われている」状態は、僕自身の使命が果たされているサインでもあるのかなと思うのです。

リーダーの喜びは「自分の成功」ではなく「他者の成長」にある

以前の僕は、どこかで「自分が評価されたい」と思っていました。

でも今は、「部下が評価されること」が嬉しいと思えるようになりました。

 

たとえば、バイトの子が昇給したとき。

昔なら「なんであいつが?」と思ったかもしれません。

でも今は、「僕のフォローが役立ったんだな」と感じられる。

その瞬間、僕の中の“欠乏”が“充足”に変わるのを感じるのです。

 

リーダーの喜びとは、自分の成果が他者を通して形になること。

だからこそ、他者の報酬や成功を「自分の成果の証」として受け取れるようになる。

それが、リーダーとしての成熟だと僕は思います。

「面白くない」から「嬉しい」へ。感情の反転構造

この体験を言語化すると、「面白くない」から「嬉しい」へと感情が反転したプロセスには、次のような構造がありました。

  • 比較による違和感
     → 「僕より少ない責任で同じ報酬なんて不公平だ」と思う。

  • 承認の欠乏
     → 「自分の価値が正しく扱われていない」と感じる。

  • 目的の再定義
     → 「そもそも自分は何を成すためにこの立場にいるのか?」を考える。

  • 貢献への転換
     → 「部下が稼げていることこそ、自分が機能している証」だと気づく。

  • 喜びの再構築
     → 「部下が豊かになる=自分の成功」として再定義する。

この過程を経て、僕の中で“競争意識”が“創造意識”に変わったのです。

成熟とは、比較のない世界を生きること

リーダーとして成熟するとは、他者と比較しないこと。

ではなく、比較のない世界を作ることだと思います。

つまり、「誰かが上がれば誰かが下がる」という競争構造ではなく、「誰かが上がれば全体も上がる」という循環構造を生み出す。

部下の給料が上がることで、組織全体のモチベーションが上がる。

結果的に業績が伸び、さらに環境が良くなる。

そうした好循環を作り出すことが、本当のリーダーの仕事です。

そして、その循環の起点に立てることこそ、「リーダーとして上手くいっている」状態なのだと、今では確信しています。

 

 

 

まとめ

最初は、ほんの小さな“面白くなさ”から始まりました。

でも、それは僕にとって心の鏡だったのだと思います。

その感情を否定せず、「なぜ面白くないと感じたのか?」を掘り下げることで、僕は自分の中の“承認の欠乏”を見つめ直すことができた。

そしてそこから、「自分が成すべきことは何か?」「僕がこの立場にいる意味は何か?」
を再定義できた。

いま僕は、部下の給料が上がるたびに、心から嬉しく思えます。

それは、僕自身が正しく機能している証。

欠乏から始まった感情が、今では“誇り”に変わったのでした。

 

【セッション・各種SNSはこちら】

「悩みの正体を知る」60分無料セッション

あなたの生きづらさ、悩み、モヤモヤはどの欠乏感から来ているのか、欠乏学で整理します。

初回は無料で、自己理解のステップまで体験可能です。

次回以降は、自己受容や行動の方向性を一緒に整理していきます。